【渡嘉敷】渡嘉敷村前島では戦後74年を経た今もなお、戦時中の沈没船から回収された手りゅう弾や迫撃砲が次々と見つかっている。唯一の島民、中村文雄さん(80)によると、島内の古井戸には未処理の爆弾が約50~60発、埋まったままだという。沖縄本島の漁師が戦後、密漁で使う小型爆弾を作るために集めたものとみられる。渡嘉敷村役場は不発弾がある可能性について把握しておらず、本紙の取材を受けて28日、「すぐに那覇署と自衛隊に連絡して対応する」と回答した。
渡嘉敷村の離島・前島は戦後、南洋群島などから100人余りが引き揚げ、島の人口は一時約380人にまで増えた。しかし、相次いで襲来した大型台風で大きな被害が広がり食糧難を招くなどしたため、島民は次々に島を離れた。1962年に最後の家族が那覇市に移住し、無人島となった。
中村さんは2003年、無人島になった故郷の復興を目的に前島に移り住んだ。中村さんによると戦後、沖縄本島南部の漁師が座間味沖で沈没した船から爆弾を回収し、前島集落の港付近に置きためたという。爆弾は手りゅう弾から迫撃砲まであり、漁師は集めた爆弾から火薬を抜き出して小さな容器に詰め替え、手持ちサイズの爆弾に作り替えると海に投げ付けて爆発させ、魚を捕った。魚は那覇市や糸満市などで売られたという。
昨年、古井戸のすぐそばで、むき出しになった爆弾6発が見つかり、自衛隊が撤去したという。中村さんは「ここに埋まっているはずの不発弾も、島のことを覚えている人間がいるうちに、調査して撤去してほしい」と話した。
(嘉数陽)