31日未明に首里城で大規模な火災が発生し、正殿や北殿、南殿など7棟が全焼した。首里城は琉球王国時代にも火災で焼失した後に再建した歴史がある。沖縄戦で破壊された後、1980年代以降に30年余をかけて復元に取り組んできた成果が今の首里城だった。その復元に携わった美術工芸の専門家からは落胆の声が上がった。建造物だけでなく、貴重な美術工芸品も多く所蔵されており、火災に伴う被害が懸念される。
県指定無形文化財保持者で、首里城復元にも携わった漆芸作家の前田孝允(こういん)さん(82)は31日、首里城の焼失に「琉球の文化を一堂に集めた首里城の正殿、南殿、北殿を同時に火事で失った。考えられないし、信じられない」と語った。
約35年に渡って龍柱や螺鈿玉座など修復全般に携わってきた。妻の栄さん(74)は「漆は油も含んでいる。何層も重ねるので、木材そのものよりも燃えやすい。話していると悲しくなる」と言葉を詰まらせた。
前田さんは「何もかもなくなったが、また新しくやり直そう。前向きに考えるとやる気が出る」と再建に向けて前を見据えた。
首里城正殿を復元する際の基本・実施設計委員を務めた琉球大名誉教授の西村貞雄さん(76)は首里城が焼失した前日の10月30日、小中高校の元美術教諭ら50人を首里城へ案内。場内を見回りながら、復元に関わった龍柱や首里城の特徴について6時間に渡って説明したばかりだった。「龍柱は日本と中国の建築様式を参考にしながら首里城や琉球王朝独特の様式で作られた。テレビで焼け落ちる様子を見てショックを受けた」と声を落とした。
「聞き取り調査をした先人たちの中には(92年の)復元前に亡くなった人も多い。作業について書いた本の出版準備を進めていたところだったのに」としながらも「全て記録に残している。予算があればできるし、後は気持ちの問題。また復元させるので県民も応援してほしい」と力を込めた。