沖縄県は首里城再建の理念発信を 国主導ではただの「観光名所」に… 山本章子・琉大講師 〈首里城再建・識者の見方〉


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山本章子氏(琉球大講師)

 沖縄が日本に復帰した1972年に首里城歓会門の復元事業が始まり、首里城正殿の復元は復帰20周年を記念して92年に実現した。当時の大蔵省や沖縄開発庁の抵抗は強かったが、自民党は戦後処理を根拠に全額国費で事業実施を押し切った。自民党が首里城復元の要望に積極的に応えたのは、日本と沖縄の一体化を進める狙いがあった。

 今回の火災を受け首里城再建の話が上がった当初、政府が普天間飛行場の名護市辺野古移設にリンクさせてくることを懸念していた。だが、現時点でその様子はない。手札として持っておく思惑があるのではないか。リンク論を出すなら、事業の後半になるほど県側から物を言いにくくなる。事業を途中で止める訳にはいかなくなるからだ。

 むしろ初めはリンクさせないことで、沖縄に対する業績の一つとして首里城を位置付け、善意を前面に出そうとするのではないか。安倍政権の沖縄での印象を変えることにつながる。安倍政権は「粛々と」辺野古の工事を進めてはいるものの、軟弱地盤の問題が出てきて手詰まりになっている。首里城再建は、安倍政権が初めて「沖縄に寄り添える」機会になる。

 安倍政権への印象が良くなれば、2022年の次回知事選で首里城再建に向け政府とのパイプを宣伝できる保守系候補に有利となる。すぐに基地問題にリンクさせるより「高等戦術」だ。

 戦後の首里城復元で人材を集め資金を投じるための理念は「沖縄戦からの復興」だった。今回の首里城再建では何を理念に掲げるのか。安倍晋三首相は衆院予算委員会で「観光振興」を挙げている。国主導の再建では首里城の存在は観光名所にとどまり、政府の実績づくりに使われかねない。

 一方、玉城県政はまだ明確な理念を発信していない。国主導の行き過ぎに歯止めを掛け、県民が誇れる首里城再建をできるかどうかは玉城デニー知事が打ち出す理念にかかっている。県の世論を背に沖縄の理念を掲げれば、政府はそれに逆らうことはしづらい。

 県民の意見を集約し、広く共感を得られる魅力的な理念を定めなければならない。同時に素早く決める必要がある。政府側は既に迅速に行動しているからだ。沖縄の総力を挙げ産官学一体で知恵を絞らなければならない。

 次回の知事選がある22年は新たな沖縄振興計画が始まる年だ。首里城再建を巡り、国が予算を負担するにしても、土台となる計画の策定で玉城県政が主導権を握ることができるかどうか。次期振興計画の策定に向けた試金石でもある。