米政府、日本政府の不安を利用 思いやり予算で野添文彬・沖国大准教授


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 外務省は1987年に始まる特別協定の考え方を、実現の10年近く前から持っていたことが分かる。これまで捉えていたよりも、だいぶ早い時期だ。外務省は70年代から特別協定を結ぶ必要性を認識しながら、防衛庁(当時)に押し切られ当初は実現できず「思いやり」(当時の金丸信防衛庁長官)という論理的ではない考え方を基に支出が始まったということだ。

 外務省は理論的には駐留経費の日本負担は地位協定24条に反すると理解していた。だからこそ「特別取極」を結ばなければならないとの考えだった。だが結局、防衛庁に押し切られ「思いやり予算」という形になった。

 根拠を曖昧(あいまい)に開始したことで、その後もずるずると日本が経費を負担し続ける状況が生まれた。当時は防衛庁が日米安全保障関係での発言力を高めていた時期で、外務省も追随せざるを得なかったのではないか。

 日本が光熱費も負担し始めたのは91年からだが、78年時点で光熱費の負担が想定されていたことも興味深い。ただ、この文書が示す「特別取極」は「抜本的解決」ではない。結局、特別協定を結び始めても時限的なもので、日本側の負担は増え続けている。

 米国が日本に駐留経費の負担を求めた背景にはベトナム戦争による米国の軍事的・経済的疲弊や円高があった。在韓米軍の見直しが在日米軍にも及ぶことを日本政府は懸念していた。米国政府は、日本政府の不安を利用する形で「引き留めなければならない」と思わせた。トランプ米大統領が駐留経費の増額を求めている現在の状況と酷似する。
 (野添文彬、国際政治学)