国内外に広がる支援の輪 首里城火災 新たな姿、模索する動きも 〈沖縄この1年・2019〉1


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火災後、報道陣に初めて公開された首里城の奉神門から見える正殿周辺=12月17日、那覇市

 2019年は沖縄を象徴する首里城が焼失した年として、人々の記憶と沖縄の歴史に刻まれた。10月31日の火災で正殿など6棟が全焼し、計8棟が焼損した。収蔵品は395点が焼失するなど文化的な損失は計り知れない。喪失感や悲しみは簡単には癒えないが、人々の思いは再建に向けて一つになりつつある。

 火災から50日余り、出火原因や防火体制、消火活動のほか、焼失した文化財、地元住民の表情、行政の取り組み、観光客減のあおりを受ける周辺店舗など、火災後のあらゆる情報が伝えられている。本紙が12月22日までに掲載した記事は約1350本に達した。

 特に寄付など支援の輪は県民を中心に世界中の県系人、沖縄に心を寄せる人々に広がり、20日までに県や那覇市に集まった寄付金は約18億1054万円に達し、ユイマールの精神、ウチナーンチュの底力を見せつけた。支援の手法は金銭だけにとどまらず、首里城を学び直したり、写真や映像を集める取り組みをするなど多様化している。

 今後は一日も早い出火原因の解明が求められる。同時にどのように再建されるのかも注目される。県や国は工程表策定に向けて調整しており、防火対策を強化した上で復帰20周年を記念した前回復元時の計画を踏襲する方向で進みそうだ。

 一方、ハード面の再建を求める声と同時に、首里城と共に育まれた組踊や古典音楽といった琉球文化などソフト面の強化を求める声も相次いでいる。また、沖縄戦で首里城焼失の一因となった地下の日本軍第32軍司令部壕の公開を求める声も高まっている。再建に合わせて“新たな首里城”の姿も模索されている。

 複雑、多様化する社会で人々が思いを一つにできるものは少なくなった。その中で首里城は類いまれな存在だ。世界遺産で琉球王国の中心という存在にとどまらず、誇り、沖縄の象徴、アイデンティティーのよりどころとしてウチナーンチュが育んできた。新たな時代に首里城がどんな表情を見せるのか。県民の手に託されている。
 (仲村良太)
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 2019年もあとわずか。県内でこの1年に起きた主なニュースを振り返る。