米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古沿岸部の埋め立ての賛否を問う県民投票が2月24日に実施された。投票総数60万5385票のうち、7割を超える43万4273票が「反対」の票となり、圧倒的多数の民意が示された。若者による活動も目立ち、沖縄の思いをまとめる原動力になった。しかし政府は結果を尊重することなく、埋め立て工事を強行し続けている。
沖縄は1996年、「日米地位協定の見直しと基地の整理縮小」に関する全国初の県民投票を提起し成功させた。辺野古移設問題を巡る住民投票は翌97年に名護市で実施され「反対」の民意が示され、今回はそれに続く直接投票で、県全体で実施されたのは初めてだった。
96年の県民投票は連合沖縄がけん引し組織的な活動で機運を盛り上げた。
一方、辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票は「辺野古」県民投票の会代表を務めた元山仁士郎さんを中心に、県内の学生や学者らが実施に向け10万を超える署名を集め、地道な取り組みで条例制定につなげた。
一時、宜野湾市など5市が不参加を表明し、実施の在り方で県との協議が平行線をたどる中、元山さんが実施を訴えるハンガーストライキを始めた。
元山さんの行動は反響を呼び、投票の選択肢が3択に修正されることで全県実施にこぎ着けるなど、曲折を経ながらも「沖縄のことは沖縄県民が決める」を合言葉に、意義を訴え共感を広げた。
その後も4月の衆院沖縄3区補欠選挙、7月の参院選沖縄選挙区はいずれも辺野古移設に反対する「オール沖縄」勢力が政権与党支援の候補者を破るなど、辺野古移設に伴う新基地建設反対の民意は国政選挙でも示された。
県民投票で反対の民意が示された夜、元山さんは会見で「沖縄の民主主義を大きく発展させる一歩になった」と述べた上で「これで終わりではない。県民の間で対話を続け、分断を乗り越えていきたい」と決意を示した。 (謝花史哲)