“豚愛”で危機乗り越えて 戦後豚送ったハワイ県系人取材の下嶋哲朗さん 沖縄の歴史と重ね終息願う


社会
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ハワイから送られ、ホワイトビーチに到着し船から降りてくる豚たち=1948年9月

 【中部】県内で豚コレラの感染が確認されてから15日で1週間。沖縄戦後、古里の復興を支援するためハワイから550頭の豚を運んだことで知られる県系人らの活動を取材してきた作家の下嶋哲朗さん(79)は「沖縄の豚は幾度の悲劇に見舞われながらも立ち上がった。ウチナーンチュが一丸となり、並々ならぬ“豚愛”で今回の危機も乗り越えられる」と語り、早期終息と養豚業の再建を願った。

 「フールにウヮーの影なし(豚小屋に豚がいない)」。戦後に沖縄を訪れたハワイの県系2世比嘉太郎さんの一報を受け、ハワイではすぐに「沖縄救済会」が立ち上がり、豚を送るプロジェクトが始動した。7人の県系人子弟が寄付で集まった約5万ドルで豚を買い付け、1948年9月、現在の養豚業発展の礎となった豚550頭が海を渡った。

下嶋哲朗さん

 下嶋さんは「ウチナーンチュの横に豚がいない生活が考えられなかったんでしょうね」と当時の比嘉さんらの思いを推察する。下嶋さんの調査によると、35年の沖縄の豚のと畜数は3万8954頭。人口が全国の0・5%余だったのに対し、全国の3・7%に当たる豚肉を消費していた。当時の県経済更正課が「こんなに食べては沖縄経済の更正にならない」とし、「あまり豚を食うな」と布令を出すほどだったという。

 ハワイから送られた豚はその後、品種改良などを重ね順調に増えたが86年、豚コレラが21年ぶりに発生。全島に広がった。「あの時も獣医師らが結束して立ち上がり、なんとか終息することができたと記憶している」。発生から43日後に県が終息宣言を出した。

 下嶋さんは豚コレラは農家だけでなく全県民の問題だとし、「豚は沖縄の歴史、伝統、文化そのものだ。ウチナーンチュの底力を見せ、一日も早い原因究明と終息を願っている」と述べた。