[日曜の風・吉永みち子氏]守るのは自分たちで 文化芸術


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 「ステイホーム」とエライ人からエラソーに言われる度に、「ハウス!」「そのまま!」と命じられる犬のような気分になっていた。だから、自らの意志で家に留まるのだと一度自分の中で変換して、人との接触ほぼ10割減の生活を二カ月。自分にとって命の次に大事な楽しみって何なんだろう?と考えていた。で、酒と友と本と映画と競馬があればいいかなという結論に達した。根が欲張りなせいでこれ以上絞れていない。

 本も酒も競馬も友も引きこもりでも共にあったのだが、映画館だけが遠のいたので、6月に映画館が再開されて即飛んで行った。復帰一作目はレバノンの女性監督の「存在のない子供たち」。あまりに理不尽で過酷な環境と必死に戦う少年の物語だ。投げられた重い塊を抱えながら、観客が私を含めて5人だった小さな映画館の今後生きていく厳しさが、少年の苦闘と重なった。

 コロナは、外出や仕事や会話や食事まで生きる行為がすべてリスクになる。さらに映画や芝居やコンサートや展覧会など生きる楽しみもすべて封じてしまう。げに恐ろしいウイルスだと改めて思う。日本の政府の対応は、ケチな上に遅くて支援が届かないうちに倒れてしまう深刻な状況で、さらに悲しいのは、美術、演劇、舞台、音楽、映画、書店など文化芸術を守ろうという姿勢はほとんど見られないことだ。

 存続の危機にさらされたミニシアターが、クラウドファンディングで救済を求めたら3日で1億円集まった。文化芸術活動で初の一億円達成だとか。もはや映画文化は映画好きが支えるしかない。イタリアは所得保障や156億円の緊急基金、アメリカも83億円の支援、フランスもドイツもイギリスも欧米諸国は、文化産業を必要不可欠で生命維持に必要なものとはっきり位置付け、苦境に立つ芸術文化関係者を励ましている。不要不急扱いの日本と絶望的な差がある。

 瀕死の事業者が必死で求める持続化給付金の事業に政府と仲良しの方々が群がって、中抜きして大儲けしちゃう国に、文化の重要さがわかるわけないか。人それぞれ、なくてはならない大事なものは違う。その大事なものはもはや自分たちで守るしかないってことですかね。

(吉永みち子、作家)