白井・具志堅ジム閉鎖 関係者「お疲れさま」とねぎらいの声


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白井・具志堅スポーツジムの開館発表会で手を重ねる(左から)白井義男、具志堅用高、友利正の元世界王者の3氏=1995年9月4日、東京

 四半世紀の歴史を積み重ねてきた白井・具志堅スポーツジム(東京)の閉鎖を6日に発表した、元ボクシングWBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高氏(64)=石垣市出身。世界王座13連続防衛の日本記録を持つ“偉大なチャンピオン”は指導者としても退く意向で、具志堅氏と旧知の仲の関係者からはねぎらいの声が上がる。

 ジムは1995年、日本人初の世界王者となった故白井義男氏と具志堅氏が共同で設立。開設当時の地鎮祭や開館発表会で、具志堅氏は「世界チャンピオンを育てたい」、白井氏は「私や具志堅君を越える世界王者を輩出したい」と志を共にしていた。

 白井氏が2003年に死去した後も具志堅氏が夢を引き継ぎ、県出身の元世界王者である友利正トレーナーらとボクサーの育成に当たった。

 「前からうわさはあったけど、信じてなかった…」。閉館の一報に戸惑いを見せたのは平仲ボクシングスクールジム(豊見城市)の平仲信明会長(56)。1週間ほど前、興業に関するやりとりで具志堅氏に電話した際は「声に元気がなかった」という。3月に比嘉大吾が契約解除となったことを念頭に「あれで気持ちが折れたのかな。友利トレーナーも辞めたし、ジムの経営は金銭的な面も含めて右腕、左腕の腹心がいないと厳しい」と経営の立場から苦しい胸中を察する。

 現役時代の具志堅氏に憧れ、県内のジム所属選手として初めて世界王座に就いた平仲会長。「具志堅さんが偉大なチャンピオンであることに変わりはない。すごい頑張ったと思う」とねぎらった。

 同じ石垣島出身で、年が三つ上の幼なじみである琉球ボクシングジム(宜野湾市)の仲井眞重次会長(68)は「選手と溝ができて、一つの区切りを付けたかったのかな」と推測する。「(比嘉)大吾に夢を懸けたけど、計量失敗がつらかったね。白井さんの看板もあって、プレッシャーも相当あったと思う」と胸の内を推し量る。

 テレビ出演などのタレント活動で自身のビジネスをこなしながらジムを経営する姿に「チャンピオンを育てる夢に向かって頑張っていた。ひとまず『お疲れさまです』と言いたい」といたわる。

 先に指導者の道を退く弟分に対し「今後も解説者として関わってほしい」と第3のボクシング人生に期待した。