「生きた証し」指でなでる 平安山好子さん(85) 記憶にない母と弟 「平和の礎」に追加刻銘


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追加刻銘された母と弟について語る平安山好子さん=21日午後、糸満市の県平和祈念公園

 今帰仁村出身の平安山好子さん(85)=浦添市=は母親と弟を南洋群島の戦争で亡くした。幼い頃に離れ離れになった母親の記憶はなく、テニアンで生まれた弟には会ったことがない。2人が死亡した記録も定かではなく、これまでは戦没者として平和の礎には刻銘されていなかった。沖縄戦から75年、平和の礎が完成して25年の節目となる今年、親族や南洋群島帰還者会の協力で母親と弟の名前が追加刻銘された。「生きていた証しが残せた」。平安山さんは礎に刻まれた2人の名前を指でなでた。

 平安山さんは1934年7月、今帰仁村呉我山で父・良栄さんと母・ツルさんの長女として生まれた。平安山さんが4歳ごろ、両親は平安山さんの妹を連れて北マリアナ諸島の一つテニアンへ出稼ぎに行った。その後、平安山さんは母方の祖父母と3人で暮らした。「だから(母親の)顔も覚えていない」と振り返る。

 母のツルさんはテニアンで平安山さんの弟となる、良金さんを産んだ。太平洋戦争で米軍がテニアンなどに迫っていた44年、ツルさんは40代、良金さんは4歳で犠牲となった。父の良栄さんと妹は生き残ったが、平安山さんとは別々に暮らした。

 これまで戦死した記録は定かではなかったが、いとこの平山良明さん(85)=那覇市=や南洋群島帰還者会が記録をまとめた。親族の一部は「平安山」から「平山」に改姓したため、刻銘板には「平山ツル」「平山良金」の名前で刻まれた。

 21日午後、平安山さんと息子の伊波茂さん(65)らが糸満市摩文仁の県平和祈念公園に集まり、平和の礎の刻銘板に手を合わせた。伊波さんは「祖父母の話はあまり聞けなかったが、自分がいるのは祖父母らがいたおかげだ。刻銘されて良かった」と話した。平安山さんは「お母さんは私のことは知っているはずね」と刻銘板に向かい、うれしそうに語り掛けた。(仲村良太)