至るところに死体があり、死んでいる母親のおっぱいを吸っている赤ちゃんもいました。あのとき「鉄砲玉に当たって楽に死にたい」と考えていました。
松田栄喜さん、沖縄県読谷村
1940年2月、陸軍を志願して福岡の久留米にある第18師団に入隊。門司港から出港し、41年12月にマレー作戦でマレー半島コタバルに奇襲上陸したが、胸部に砲撃の破片を受けて負傷した。
43年に帰郷療養の許可が下り沖縄に戻ると、45年4月1日には米軍が沖縄本島に上陸した。読谷村の自宅から見えた海は米軍の艦船で真っ黒だった。
日本軍の命令で家族と離れて南部へ移動することになり、同郷の友人と行動を共にするが、友人は米軍に機銃で腹を撃たれた。
その友人は「自分はもう生きられない。どこで死んだか家族に伝えてほしい」と言って拳銃で自殺した。
(2016年1月23、24日付「未来に伝える沖縄戦」より=当時94歳)