ひいおじいさんのロープをみんなで支えていたが、途中で切れて底まで落ちてしまった。 言葉を刻む(3)


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ひいおじいさんが井戸から下りる時、みんなでロープを支えていたが途中で切れて底まで落ちてしまい、そのままガマの中で亡くなってしまった。

富名腰義春さん、沖縄県宜野湾市

沖縄戦当時の様子を語る富名腰義春さん=2015年3月26日、浦添市当山

 沖縄県浦添市で、いとこの家の井戸から入ることのできたガマ(自然洞窟)に避難した。

 井戸は12~13メートルの深さで、胸までつかるほどの水たまりができていた。空洞で水がないところを寝床にして暮らしていた。

 83歳のひいおじいさんや70歳すぎのひいおばあさんをおぶって井戸からガマに入った。ガマは200~300メートルほどに広がっていたと思う。ガマには「石部隊」という京都で編成された日本軍もにいた。

 石部隊は、ガマ近くにある嘉数高地の戦闘の主力部隊だった。「部隊が南部へ移動する前に、宮城さんという日本兵が手りゅう弾をくれた。着物と布団で大げさに巻いて保管していたけど、ガマの中で爆発してしまった」

 ひいおじいさんが亡くなった後もガマの中で暮らした。(組織的な戦闘が終わったとされる)6月23日を過ぎても戦火が収まったことを知らず、8月ごろまでガマの中で暮らした。

(2015年3月28、29日付「未来に伝える沖縄戦」より=当時81歳)