高度な手術体制なく 患者、家族に過大な負担<北部 命の現場・基幹病院設立の課題>2


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2000年夏にくも膜下出血を発症し、県立北部病院で緊急手術を受けた稲嶺盛友さん(提供)

 2000年6月。真夏の日差しが照りつけていた日、名護市に住んでいた稲嶺盛友さん(88)は突然、激しい頭痛に襲われた。友人宅で増改築の工事を手伝っていたさなかだった。現場に居合わせた長男とすぐに北部地区医師会病院に急いだ。検査の結果、くも膜下出血が明らかになった。

 盛友さんの容体は一刻を争う危険な状態だと、医師が家族に告げた。すぐに県立北部病院に搬送された。当時、緊急手術に対応できる体制が同病院では整っていた。盛友さんはその日の夜までに手術を終えて一命を取り留め、リハビリに取り組んだ。1年後にはすっかり回復し、以前と同じ精力的な姿を取り戻した。盛友さんは「本当にありがたかった。素晴らしい医療を提供してもらった」と振り返った。

 一方、家族は「技術が高い先生がいたことを知っていたので、治療に大きな不安はなかった。もし今のような(休診)状態であれば命はなかったかも…」と表情を曇らせた。

 2018年11月、名護市内で暮らす女性(65)は突然、自宅で激しいめまいに襲われた。最初に訪れた耳鼻科で検査しても原因が分からず、耳鼻科の医師は脳の検査を勧めた。数カ月後、体調の回復を待って脳の検査を受けると、7ミリほどの脳底動脈瘤(りゅう)が見つかった。女性の夫は医師で、県医師会副会長の宮里達也さん(69)。妻の検査画像を見た宮里さんは「いつ破裂してもおかしくない。素人目でもすぐに分かるほどだ」と振り返った。

 治療を受けるには那覇市内の病院へ行く必要があった。名護市からの道中、宮里さんはいつにない緊張感で車を走らせていたが、妻にはそのことを悟らせないように「大丈夫だよ。任せておいて」と声を掛けた。半面、「少しの振動で動脈瘤が破裂しないか」と気掛かりだった。不安と戦う日々だった。

 那覇市内の病院での手術は無事に成功した。現在、妻の健康状態は良好だ。手術の前後を含めた約2カ月間、宮里さんは那覇市と名護市を往復する日々だった。体力的にも経済的にも、負担を強いられた。

 「北部の住民が安心して住める環境を整えるには、医療問題の解消が喫緊の課題だ」。稲嶺さんの家族と宮里さんは口をそろえた。命は平等だが、暮らす地域によって命を守る医療サービスの格差が生じている。早急な医療体制の整備が求められる。

(下地陽南乃)

 


 人口約10万人の北部医療圏には、県立北部と北部地区医師会の同規模の急性期病院がある。診療科が重複するなど医療提供体制が分散され、慢性的な医師不足に陥っている。2病院を統合する北部基幹病院整備が動き始める。医師不足や住民が等しく医療サービスを受けられない医療格差の現場と課題を追った。