1955年~92年に開催「新報那覇マラソン」標柱 南城市津波古で今もたたずむ「宝物」


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「新報那覇マラソン15KM」と刻まれた標柱について語る、津波古区の高江洲順達区長=7月19日、南城市佐敷津波古

 【南城】沖縄県南城市佐敷津波古の国道331号沿いに「新報那覇マラソン15KM」と刻まれた標柱がある。おきなわマラソンの前身で1955年から92年までの38年間開催された「新報那覇マラソン」の15キロ地点を示す標柱だった。津波古区の高江洲順達区長は「津波古の戦後や沖縄のマラソンの歴史にとって重要な標柱だ」と話している。

 新報那覇マラソンは那覇市泉崎の琉球新報社前を発着点として那覇市古波蔵や南風原町、与那原町、旧佐敷町を通り、旧知念村久原で折り返す42・195キロのフルマラソン。開催当時の琉球新報の紙面によると、折り返し地点は大会によって南城市知念安座真や海野で折り返すこともあった。

 マラソンでは64年の東京五輪候補となった時志為男選手など、県内各地から集まったアスリートが健脚を競い合った。当時、沿道には多くの区民らが集まり、ランナーに向かって声援を送ったという。「一流の選手たちを見ようとたくさんの人だかりができ、祭りのようににぎわっていた」と振り返る。

 高江洲区長は「おきなわマラソン」で第20回大会まで毎年参加し、完走してきた。「幼い頃から新報那覇マラソンに参加する優秀なランナーたちの走る姿を見てきた。自分も走りたい、完走したいという気持ちになって、マラソンを始めた」

 標柱は、国道の改修工事で元々あった場所から少し移動している。高江洲区長は「この標柱は津波古の歴史の生き証人として残る区の宝物。これからも大切に保存したい」と力強く語った。
 (金城実倫)