川崎駅前の「石敢當」建立50年 始まりは「米ひとにぎり運動」 沖縄との絆


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台風被害への川崎市からの支援に対する返礼で宮古島から贈られた川崎駅前のシンボル「石敢當」建立50年を記念したイベント=8月28日、神奈川県川崎市

 【神奈川】神奈川県川崎市の川崎駅前広場で交通安全のシンボルとなっている石敢當が建立され、今年で50年となる。この石敢當は1959年、台風の相次ぐ直撃で甚大な被害を受けた宮古島・沖縄救援で川崎市議会を中心に市ぐるみで集めた多額の募金と「米ひとにぎり運動」で集まった米16俵の返礼として、宮古島から川崎市に贈られた。川崎沖縄県人会(比嘉孝会長)は8月末、この絆の歴史に思いをはせる「石敢當建立50年のつどい」を開催した。

 福田紀彦川崎市長や市議会関係者、当時の関係者や遺族らも出席した。

 比嘉会長はあいさつで「川崎市は首里城焼失の時も市長、議会長が先頭に立って街頭募金をしたり、市庁舎に募金箱を置いたりした。川崎にはゆいまーる精神がある」と感謝の言葉を述べた。

 川崎市在住の嵩原信夫関東宮古郷友連合会会長(72)は宮古島の台風被災を経験し当時13歳で「家族5人で隣の家に避難をして命拾いをした」と振り返り、当時の支援に感謝した。

 建立に立ち会った斎藤文夫川崎市観光協会会長(92)はかりゆし姿で登場し「川崎と沖縄の縁は110年、長い歴史を重ねている。まじないにもなる、ありがたいプレゼントをいただいた」と語った。

 下地敏彦宮古島市長の「感謝のメッセージ」も披露された。式典立案者である映画監督の喜屋武靖さんは「今回の石敢當をめぐる経緯は佐藤惣之助から連なる川崎沖縄の絆の歴史を掘り起こす中で見つけたものだ。かつての絆の記憶がこれを機によみがえり、新たな紡ぎ手、担い手を得て未来へバトンが手渡されてほしい」と語った。
 (山川夏子首都圏通信員)