[日曜の風・浜矩子氏]学術会議問題 稚拙、恐るるに足らず


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 「愛されるより、恐れられる方が無難だ」。前回の本欄で、これが菅義偉首相が信奉する権謀術数男、16世紀イタリアのニッコロ・マキャベリの言葉であることをご紹介した。就任1カ月を迎えた菅氏は、師匠マキャベリのこの教えに実に忠実に行動しようとしている。

 そのことを集約的に表しているのが、日本学術会議の新会員任命を巡って持ち上がっている今の状況だ。学術会議が推薦した105名のうち、6名を菅首相は任命しなかった。首相による任命は形式的な任命にすぎない。この法解釈が生きていると言いながら、今回の任命拒否が起きた。

 ところが、実は内閣府発の文書で、首相は「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えない」という見解が示されている。2018年のことだ。つまり、今回の新規会員候補推薦のタイミングに向けて、任命拒否を正当化するための地ならしが行われていた模様なのである。

 菅首相は、自民党総裁選への立候補に向かう中で、政府方針に異を唱える官僚は「異動させていただく」と言っていた。それと同じ感覚で、独立機関であるはずの学術会議に介入する姿勢を示しているわけだ。

 この問題を巡っては、杉田和博官房副長官が、あらかじめ、問題の6名を除外した上で、候補者名簿を菅首相に提出したという話もある。この経緯は首相も承知しているのだという。

 除外を知っていたのであれば、首相が任命を拒否したと同じことだ。知らなかったとすれば、杉田氏の違法行為だろう。全く何がどうなっているのか分からない。

 突如として、河野太郎行革担当大臣が学術会議を行革対象にすると宣言した。自民党内部に、学術会議の在り方を考えるためのワーキング・グループが設置されることにもなった。かくして、菅首相の任命権問題が、実にあからさまな形で、学術会議そのものの在り方問題にすり替えられようとしている。

 こうして、恐れられるための体制づくりを進める。それが菅首相の狙いであるのか。それにしては、やり方が稚拙だ。つじつまの合わなさ。後付けの脈絡の無さ。説明の支離滅裂さ。それらがあらわになり過ぎだ。恐るるに足らず。

(浜矩子、同志社大大学院教授)