社会

悲しみ、希望を絵画に「天国の首里城」 首里育ちの豊岡さん 三線バンドで寄付活動も

首里城の復興を願う気持ちを絵画や音楽で表現している豊岡正司さん=10月30日、那覇市の首里城公園

 1年前の首里城焼失は、県外に暮らすウチナーンチュにも大きなショックを与えた。那覇市首里育ちで東京在住の豊岡正司さん(52)は、焼失直後に悲しみや復興を願う気持ちを絵画にし「天国の首里城」と名付けた。焼けた正殿のほか、再建を待つ龍柱や悲しみの涙を表す滝、文化復興への願いを込めた御冠船など、多くのモチーフを取り込んだ。焼失から1年に合わせて沖縄を訪れた豊岡さんに作品への思いを聞いた。

 豊岡さんは宮古島生まれ。小学校の途中で首里に引っ越し、守礼門のすぐそばにある城西小に通った。1992年に復元された首里城がまだなかった時代で「玉陵(たまうどぅん)で缶蹴りをし、龍潭では爆竹で遊んだ」と振り返る。

 首里中、首里高を経て東京に進学した。中国楽器の二胡に出合い、ワールドミュージックにのめり込む中で故郷の沖縄音楽の良さに気付いた。「自分の中に沖縄を取り戻す」。三線を始め、指笛やカチャーシーの「練習」に励み、2004年には三線バンド「イチャリバーズ」を結成。沖縄居酒屋や学校の平和学習、沖縄関連イベントなどで活動を続け現在に至る。


豊岡正司さんが描いた「天国の首里城」(本人提供)

 1年前の「あの日」は、江の島(神奈川県)を観光中だった。首里城で働く姉からのLINE(ライン)や、燃え上がるニュース映像を目にしてぼうぜんとした。「ショックな出来事があると絵を描いてきた」という豊岡さんは、焼失から間もない昨年11月、パソコンに向かい1週間かけて「天国の首里城」を描き上げた。同時期に沖縄に足を運び、「骨を拾う気持ち」で炭となった木片を集めた。

 焼失後はしばらく「火」や「燃」という文字を見ることさえ嫌になったという。「とにかく水を描きたかった。上から差し込む光は、沖縄を照らすティダ(太陽)の神を表わした」

 「イチャリバーズ」の活動では再建へ寄付も呼び掛けている。「天国の首里城」を映像化し、豊岡さん自身が歌詞をつけて歌にした同タイトルの作品も動画投稿サイト「ユーチューブ」で見ることができる。豊岡さんは「東京で沖縄愛を発信しながら、できることをしていきたい」と語った。(当山幸都)




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