晩年、私小説で新境地 沖縄語巡り編集者と応酬も 本浜秀彦<戦後沖縄文学の軌跡―大城立裕を語る>2


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三島賞の上田岳弘氏(右)、山本賞の柚木麻子氏(中央)と並んで記念写真撮影に収まる川端康成賞受賞の大城立裕氏=2015年6月26日、東京・ホテルオークラ(筆者撮影)

 大城立裕さんが亡くなられた。沖縄文学の「巨星墜つ」という想いである。

 5年前、「レールの向こう」で受賞された川端康成文学賞の、東京で開かれた授賞式・祝賀会でお目にかかったのが最後になってしまった。

 その日、同じ晴れ舞台で三島由紀夫賞(ちなみに大城さんは、三島と同じ1925年の生まれ)と山本周五郎賞をそれぞれ受けた若い作家二人がタキシードやドレスで決めてきたのに対し、大城さんはかりゆしウエア。

 受賞スピーチは、このウエアが沖縄では正装であるとの説明から始めた。沖縄文化の「宣伝部長」をどこまで自任するのだろうと、招待を受け会場にいた私は思った。二次会では乾杯の音頭をとった作家で元外務省主任分析官の佐藤優さんが大城文学を褒めちぎり、さすがの大城さんも少し照れて、目を伏せた。

こころの内

 受賞作を収めた短編集『レールの向こう』や、続く『あなた』など、出版されたご著作を折々に頂戴した。私の方はと言うと、お礼を書いたり、忙しさにかまけて書かなかったり。不義理のせめてのお詫びに、受賞者記念撮影の際に撮った写真を大判でプリントし、額に入れてお贈りした。大城さんからはこれまた律儀にお礼の手紙が届き、恐縮した。

 その文面に、好々爺(こうこうや)に映っている自分を、我ながら愛(いと)おしく思う、という内容が書かれていた。それを読み、「レールの向こう」をきっかけに私小説の執筆が増えた大城さんのこころの内を探れた気がして面白かった。おそらく私小説は、自分を愛(め)でるナルシストでないと書けない。太宰治のような小説もナルシストだからこそ書ける。

 大城さんは自作について「『沖縄』の私小説を書いてきた」と口にしてきた。初期の頃、私小説を発表していたものの、築き上げてきたのは沖縄の歴史や文化を意識した作風である。ただ、作品の中には、沖縄を背負う気負いからなのか、硬質なものもあった。それが齢を重ねて、ご自身の身辺を再び書かれるようになると、力がうまく抜けた。味わい深くなり、新境地を拓いた。

ダメ出しに謝辞

 しかし私小説に移っても、またエッセーや発言でも、やはり大城さんは大城さんだった。手厳しさや意固地さや皮肉は、特に書く対象が「ウチナー」の内とその外である「ヤマト」に向かった時に顔をのぞかせた。

 沖縄初の芥川賞作家となった大城さんは、東京の出版社の編集者たちと、沖縄の文学をめぐって闘ってきた作家という一面もある。沖縄語(ウチナーグチ)の言葉遣いを、日本語の文法で片付け朱を入れてきた編集者に反発した。ある雑誌が組んだ歴史小説特集で「小説琉球処分」が取り上げられなかった時は、近代日本における琉球・沖縄の歴史の意味をご存じなのかと編集部に手紙を書いた。

 一方で、優れた編集者たちのアドバイスには、謙虚に耳を傾けた。那覇市内の各劇場に通った舞台ファンの「いっちゃん」をモデルに書いた「芝居の神様」や、これまでの作風と異なる私小説も、編集者から「書いてみませんか」という誘いがあったようだ。また、海洋博の仕事の多忙さもあって筆運びがやや雑になった頃、「神女(のろ)」の文芸誌連載時に何度となくダメ出しをした編集者には、単行本の後書きでその謝辞を述べた。

 1943年、県立二中から上海にあった東亜同文書院大学へ県費派遣生として進学した大城さんは相当なエリートだった。戦時下の上海での学生生活、軍隊経験などについて8年前、『コレクション戦争と文学 オキナワ 終わらぬ戦争』の月報のため2時間近くインタビューした(集英社文庫『セレクション戦争と文学8』にも収録)。大城さんの中国体験と「カクテル・パーティー」などの名作との関係を改めて確認できた貴重な機会となった。

本浜 秀彦氏

最後の便り

 その取材の打ち上げの席で、大城さんを編集者3人と私とで囲んだ。興味深い話を数々お伺いした中、酒も入っていつも以上に調子に乗った私が、新作組踊も手がけられた大城さんに、無茶なお願いをした。私の、「執心鐘入」冒頭の中城若松の唱え―「わぬや中城 若松どやよる みやだいごとあてど 首里にのぼる~」の採点を頼んだのだ。聞き終えた大城さんは、これは困ったという表情で腕組みをして、60点を付けた。大学の成績評価だと「可」である。

 おそらくその点数は、沖縄の歴史や文化の総体的な知や豊かなご経験をお持ちの大城さんが、下駄(げた)をはかせて単位を与えたものだろう。沖縄の文学や文化に関わる私に、もっと頑張れ、という意味を込めていたように今改めて思う。

 昨年5月に届いた封書が大城さんから私に届いた最後のお便りだった。宛名と住所は例の右上がりの癖のある字、裏には差出人の大城さんのお名前とご住所と電話番号が、いつものように判子(はんこ)で押されていた。

 在外研修で英国にいた私はそれを適時に受け取れなかった。後日封を切ると中に『第3回井上靖記念文化賞』の小冊子が入っていた。受賞者は大城さん。選考委員代表の作家・辻原登さんの選評は、「大城立裕氏の文業はまだ終わっていない」と書き出されていた。
 (文教大学国際学部教授)


 もとはま・ひでひこ 1962年那覇市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。川崎製鉄、琉球新報記者を経て米ペンシルバニア大学大学院博士課程修了(PhD)。専門は比較文学、視覚文化論。著書に『手塚治虫のオキナワ』、共編著に『沖縄文学選』『マンガは越境する!』『島嶼沖縄の内発的発展』。