[日曜の風・浜矩子氏]どんなアメリカに? バイデン氏勝利


[日曜の風・浜矩子氏]どんなアメリカに? バイデン氏勝利
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 「これほどまでの善意に基づいて、これほどに問題ばかり引き起こす男を私は知らない」。「静かなアメリカ人」という小説の一節だ。作者はイギリスが生んだ偉大なるストーリーテラー、グレアム・グリーンである。

 「静かなアメリカ人」の舞台は、フランスによる植民地支配終焉(しゅうえん)期のベトナムだ。そこに、善良で正義感あふれるアメリカ青年が出現する。ホントにいい人なんだけど、全然何も分かってない。こういう人に出会って辟易(へきえき)することは、われわれもままある。これを嫌というほど味わうのが、百戦錬磨の老練な英国人ジャーナリストだ。冒頭の一節はこの彼のつぶやきである。

 かつてのアメリカには、確かに、こういうところがあった。若きヒーロー、清く正しきヒーローとして、世界的な世のため、そして人のために頑張らねば。そういう信念に燃えて奮闘する。その過程で、人々の思いや風土や文化を無遠慮に踏み荒らして行く。そして、自分の無遠慮さに全く気づかない。このアメリカ像がとてもよく当てはまる時代があった。

 だが、今は違う。老練ジャーナリストのつぶやきは書き換えられる必要がある。「これほどまでの悪意に基づいて、これほどに問題ばかり引き起こす男を私は知らない」。ドナルド・トランプのアメリカについては、こう言うほかはない。幸いにして、この男はアメリカ政治の舞台中央から立ち去ろうとしている。激しく抵抗しているが、いかなる悪意をもってしても、バイデン勝利という大統領選の結果を覆すことは無理だろう。

 バイデン次期大統領については、老練ジャーナリストはどんな感慨を抱くことになるだろう。バイデン氏が善意の人であることは、ほぼ間違いない。問題は、良かれという確信に基づいて、ことごとく他者の神経を逆なでし、その心情を踏みにじることになってしまうのか。

 ひょっとすると、「静かなアメリカ人」が刊行された1955年当時のバイデン氏はまさしく、そのような青年だったかもしれない。だが、いまや年の功を十分に重ねている。善意が賢き善行につながることを期待したいところだ。

(浜矩子、同志社大大学院教授)