<感染者と呼ばれて2>「対岸の火事」のはずが…入院2度、後遺症今も(全3回)


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7月から8月にかけて県内では感染が拡大していた。那覇市内では市職員がPCR検査実施を呼び掛けるビラを配布した=7月30日、那覇市内(画像を加工しています。本文と写真は関係ありません)

 体重は入院した1カ月間で12キロ減った。新型コロナウイルスに感染した豊見城市議の川満玄治さん(45)は命の危機を実感していた。

 7月30日にPCR検査を受け、結果が判明するまでの2日間は、川満さんにとって最もおびえた時期だった。自宅には妻や4人の子ども、80歳の義母が同居する。既に感染させてはいないか、子どもはいじめられないか―。支援者や知人も含め、それぞれの顔が脳裏を駆け巡った。

 「第1号」となる不安も頭をよぎった。それまで、県内の自治体議員で感染が明らかになった人がいなかったからだ。不安は現実となり、川満さんは議員として県内で初めて感染した。

 思い当たるのは陽性が判明する1週間前となる7月25日。那覇市内の居酒屋まで、妻を車で送ったことだ。友人6人がいたが、川満さんは店内の席に座らず、3分ほど雑談してから帰宅した。後日、友人3人の感染が判明する。

 県内では4月30日を最後に、7月に入るまで新型コロナの感染は確認されていなかった。経済活動が徐々に再開へ向かう中、7月9日に69日ぶりの感染者が出た。同時期に在沖米軍でも多数の感染者が発生し、7月下旬には那覇市松山の繁華街でクラスター(感染者集団)が発生した。

 県内で感染者が急増し、玉城デニー知事は7月31日、「感染拡大が爆発的に進んでいる」として県独自の緊急事態宣言を発表した。川満さんの感染は“第2波”到来への危機感が高まっていたさなかだった。「絶対に感染しない。対岸の火事だと思っていた」。川満さんはそう振り返る。

 8月3日に入院した川満さんは、ほとんどの時間を病室のベットの上で過ごした。高熱、激しいせき、食欲不振、嗅覚異常に陥った。

 10日にいったん退院したものの、その日の夜に40度の高熱に再び襲われた。2日後、再入院することになった。入院は30日まで、約1カ月に及んだ。現在も後遺症とみられる症状が続く。頭痛や肺の痛み、だるさなどだ。

 「感染した自分が悪かったのか」。入院中はそう悩む時間が多かった。半面、どんなに万全にやっても100パーセントの対策は難しいとも感じたのも事実だ。

 川満さんが危惧することは、「感染した」と言いづらい空気が広がることで、PCR検査を避ける人が増えた結果、感染拡大に歯止めがかからないという悪循環だ。川満さんが強調した。「感染した人が声を上げられる世の中にしていくことが大事だ」 (照屋大哲)

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