復帰前の沖縄の米B52爆撃機配備 2つの役割 ベトナムと北朝鮮の抑止


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 1968年2月、米国が沖縄にB52戦略爆撃機を配備した背景には、韓国への挑発行為を増加させていた北朝鮮をにらみ、朝鮮半島情勢の悪化を抑える狙いがあった。B52の沖縄配備はベトナム戦争と結び付けて想起されることが多いが、近著でその背景を実証した日本学術振興会特別研究員の成田千尋氏(33)は「B52は北朝鮮に対する抑止力として配備され、それが戦況が悪化したベトナム出撃に使われ、沖縄への常駐化につながった」と指摘する。

パラシュートを開いて嘉手納基地に着陸する米軍のB52戦略爆撃機。後方は米空軍輸送機=1969年2月15日

 米国がベトナム戦争に本格的に介入した65年、韓国の朴正熙(パクチョンヒ)政権が自国の戦闘部隊のベトナム派遣を決めるなど積極姿勢を見せたことに反発した北朝鮮は、挑発行為を繰り返すようになる。それが頂点に達するのが、68年初頭だった。

 68年1月21日、韓国・ソウルの青瓦台(大統領府)で北朝鮮の特殊部隊による襲撃未遂事件が発生。同23日には北朝鮮が米軍の情報収集艦「プエブロ号」を銃撃・拿捕(だほ)する事件も起こり、朝鮮半島情勢は一気に緊迫化した。米国はベトナム戦争に参加していた空母を北朝鮮沖に派遣するなど、軍備増強を開始する。

 成田氏によると、その一環として提案されたのが、米国本土からB52を沖縄などに追加配備する計画だった。

成田千尋氏

 米国務省の1月24日付の覚書によると、当時のマクナマラ国防長官は沖縄から朝鮮半島まで2時間半でB52を展開できる点を指摘。翌日には、ジョンソン大統領がB52派遣を指示している。配備計画は正式に承認され、2月5日には嘉手納基地にB52が飛来した。

 当初は北朝鮮に対する抑止を目的とし、沖縄の反対感情を刺激するベトナム出撃は実行されないはずだったが、同時期にそのベトナムの戦況が悪化。2月15日以降、嘉手納を拠点にしたベトナム爆撃が恒常化し、B52には北朝鮮抑止とベトナム出撃という「二つの役割」(成田氏)が与えられることになった。

 B52は68年11月に嘉手納基地を離陸直後に墜落事故を起こし、沖縄からの撤去を求める声は大きなうねりとなっていく。

 成田氏はB52配備について「沖縄がベトナム戦争に加担させられているという意識を強め、(日本への)復帰運動がさらに高まるきっかけとなった。墜落事故後にゼネストが計画されたことは、沖縄返還交渉にも影響を与えた」と語った。


【用語】B52戦略爆撃機

 米ボーイング社が開発した米空軍の戦略爆撃機。1965年7月、台風を理由にグアム島から嘉手納基地に移動後、ベトナムに直接出撃したため大きな衝撃を与えた。その後も度々飛来し、68年2月5日に常駐配備された。同11月19日に嘉手納基地で墜落事故が発生して撤去の声が高まり、70年10月6日に撤退した。現在も米軍が運用している。