[日曜の風・吉永みち子氏]自分で考える 今年の目標


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
吉永みち子氏

 新しい年が始まりました。今年もよろしくお願いします。しかし、明るく無邪気に「おめでとうございます!」と言いにくいお正月。1年前に、次の年にこんな気分で正月を迎えようとは、神のみぞ知る世界。その神様に、何ゆえに世界中にコロナ試練を与えたのか聞いてみたいものだ。

 第1次世界大戦中に米国で発生したスペイン風邪は、戦争中の報道規制などで感染が世界で爆発、兵士が徴用できずに戦争を終結に導いたともいわれる。スペイン風邪による犠牲が平和をもたらしたなら、21世紀の新型コロナはこの先どんな世の中をもたらすのだろう…と、引きこもりで超ヒマな年末年始に考えてみようかと思った。

 思った途端、今の世の中、非常に考えるということをしにくい社会になっているということに気づいた。視覚的にも聴覚的にもさまざまな情報が勝手に飛び込んでくる。渋谷の交差点など四方八方から映像と音声が襲ってくるし、スマホにも膨大な情報が届く。これじゃ常に雑音にさらされて頭が踊っちゃう。

 誰かが日本はお囃子(ばやし)社会だと言ったが、四つも五つものお囃子が押し寄せ、気持ちよく踊れる祭り囃子とは違いかなりのストレス。さらにテレビもコロナの恐怖を囃子たてたかと思うと、「Go Toキャンペーン」のお得情報をこれでもかと囃(はや)す。もう考えが右往左往してしまう。ゲームやスマホ情報やSNSも思考言語というより共通記号みたいな感じで、自分の言葉は持てない。考える言葉がないと、自分の考えも持ちにくいだろう。

 それにしても、人間をかくも考えさせない方向へと導く社会はこれまでになかったと思う。いいね!をプチるのも、自分の考えというより反応に近い。

 戦争中は、言葉を発したくても自分の言葉を発することができなかったが、今は窮屈になったとはいえ、まだ自分の言葉を発することができる。それなのに、考えることもウザいと止めて発する言葉をなくしてしまったら人としてイカンでしょう。と、ここまで考えたところで、締め切り時間。でもまだ考えることは山ほどある。もともと人間が軽薄にできている上に、断固続ける根性もない私ではあるが、それでも今年の目標は、「静かに自分で考える」と決めた。だって人間だもの。

(作家)