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少年法改正でどうなる匿名範囲 報道界自身が積極的に議論を<メディア時評>


この記事を書いた人 Avatar photo 滝本 匠

 少年法61条はこう規定する。「家庭裁判所の審判に付された少年又は少年のとき犯した罪により公訴を提起された者については、氏名、年齢、職業、住居、容ぼう等によりその者が該当事件の本人であることを推知することができるような記事又は写真を新聞紙その他の出版物に掲載してはならない」。いわゆる少年事件の推知(実名)報道禁止と呼ばれている条項だが、いま、この法運用が大きく変わろうとしている。
 新聞やテレビにおける、事件報道の際の氏名や顔写真の扱いが、最近はよく議論になる。とりわけ犯罪被害者については、メディアの実名報道原則が俎上にあがって、匿名でよいのではないかという意見がよく聞かれる。これに対し少年については、現在は法によって匿名を義務付けているものを、年長少年(18、19歳)限定ではあるものの、実名化しようという逆のベクトルの話だ。

少年法改正の動き

 もともとは22年4月から、民法上の成人年齢が20歳から18歳に引き下げられるのが発端だ(18年改正)。さらにさかのぼれば、憲法改正国民投票法で、投票年齢の引き下げが議論され、関連して15年の公職選挙法改正によって、選挙権が18歳に引き下げられたことが引き金になっている。そこで少年法についても、「少年」の定義を変更し18歳未満にしてはどうかという話になったわけだ。
 ただし一方で、酒やたばこについては引き続き20歳まで禁止されるなど、約20の法律で20歳が維持される見込みだ。国内法制において「成人」年齢を一律に引き下げ18歳にするのではなく、現時点の「まだら模様」の分かりにくさは残ったままである。
 重要な法制度についての審議機関である、法務大臣のもとでの法制審議会では20年10月、冒頭に挙げた本人特定情報の禁止について、「家庭裁判所から逆送(検察官送致)された18、19歳の加害少年については、公判請求された段階で実名報道を解禁すること」を決めた。事実上、少年保護・更生の対象外としたわけだ。さらに逆送の対象についても、「短期1年以上の罪(法定刑の下限が1年以上)」と大幅に拡大されている。
 今回の少年法改正は、2000年以降の少年犯罪厳罰化の流れに沿うものとされる。一方で、すでに多くの指摘がある通り、少年犯罪自体の件数も、重大刑事事件の件数も、いずれもデータ上では減少している。議論の末、結果的に少年の年齢定義を変更しなかったのも、たとえ年長少年であっても、原則は更生目的での運用をすべきとの意思の現れであって、一方で実名を容認することは、目的に離反するとの指摘は否定できない。

戦後「精神規定」に

 この報道禁止は戦前の少年法から引き継いだもので、かつては罰則付きの禁止条項だった。それが戦後、憲法の表現の自由保障と抵触することから、罰則のない「精神規定」に変わった経緯がある。それでも、規制条文であることにはかわりなく、報道の自由の原則論からすれば法規制はないに越したことはなく、あくまでも報道機関の自主的な判断に委ねるべきともいえる。
 そうした中で実際には、報道界は法務省などとの話し合いの中で、逃走中など「少年保護よりも社会的利益の擁護が強く優先する特殊な場合」は、あえて法を破ることを文書化してきてもいる(「新聞協会の少年法61条の扱い方針」1958年12月)。どの程度厳密に守るかも時代によって差があったが、大きな流れとしては匿名化が定着してきているといるだろう。
 また、メディアの変容に伴い対象として放送媒体を含むこととし、さらにインターネット上の情報にまで「拡大解釈」を認めてきた。実質的には報道制限ではなく「公表禁止規定」としての意味を持ち、社会全体で自由の制約を是認してきたわけだ。
 別の側面では、重大刑事事件については、これまでも一般の刑事法廷で審理がなされ、必ずしも匿名性が厳格に守られているわけではないこともあって、なぜ報道段階のみ少年法の精神に立ち返る必要があるのかについて、議論があったことは確かだ。また、光市母子殺害事件の死刑判決を受け、多くの報道機関が、判決(あるいは確定)段階で実名報道に切り替えるなど、「例外」ルール化の動きも続いていた。

実名の必然性

 これまでであれば少年事件として審判に付され、少年院や少年鑑別所に送られ、匿名で報じられていた事件が法改正でどう変わるか想定してみる。一般刑事事件として裁判にかけられ、執行猶予付きですぐに社会に出てくる中で、実名が報じられるということも起こり得よう。当該少年や広く社会にとってどちらが好ましいだろうか。
 扱いとして一番簡単なのは、一般成人と同じ扱いをすることだ。匿名扱いは偽善的態度だといった社会的批判も起きないだろうし、おそらくネット上では実名が流れるだろう。あるいはその逆に、従来通りの匿名を形式的に続けるというのも取りやすい選択肢に違いない。なぜなら、一般的な事件報道の初報である逮捕時においては、法の規定上匿名にすることが求められており、逆送され裁判になった段階で実名に切り替え、さらに判決次第ではまた匿名化するというのは、現場の実務としては煩雑だからだ。
 そうした中で、年長少年と言えども少年のカテゴリーにおき、未熟な存在であるとしている法構造を妥当と判断する以上、ジャーナリズム倫理上の人権配慮や人道主義からすると、せめて「匿名化」によってぎりぎりの一線を守るという判断はあり得るのではないか。ただし当然、こうした議論は、被害者実名の問題に波及する。さらには一般の犯罪事件加害者(被疑者)の氏名扱いにも影響を与えるだろう。
 社会全体の言論公共空間の中で、範を示すという役割がジャーナリズムには必要だ。その意味では、消極的選択ではなく、積極的な位置づけを報道界全体で議論をし、個々の社において方針を定め公開することを強く期待したい。
 (専修大学教授・言論法)
 (第2土曜掲載)

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 過去の連載は本紙ウエブサイトのほか、『見張塔からずっと』と新刊『愚かな風』(いずれも田畑書店)でも読めます。