[日曜の風・香山リカ氏]森会長辞任 多様性奪う声 許さない


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 東京五輪・パラ大会の会長だった森喜朗氏が女性蔑視発言で辞任した。コロナ禍での開催への国民の心配に追い打ちをかけるような不祥事だ。

 驚くのは、ネットを中心に森氏の発言を擁護する人が大勢いることだ。その主張のひとつに「多様性を大切にするなら、森氏の発言にも寛容になるべき」というのがある。ちょっと考えれば、これは完全に間違っていることがわかるはずだ。

 森氏の「女性がたくさん入っている理事会は時間がかかる」という発言は、聞いた人にどういう影響を与えるだろう。重要な会議のメンバーを決める際、「女性は少なくしよう」と思う人がいるかもしれない。さらに会議に出席する女性は「発言を控えておこう」と思うかもしれない。つまり、その発言は女性が社会で活躍する機会を減らし、発言を封じる可能性がある。このように誰かの権利を奪い、多様性を狭める発言について「それを認めるのが多様性」というのはおかしな話だ。

 沖縄の基地問題についても同じである。私が基地に反対する沖縄の人たちをデマや誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)で攻撃する人を批判すると、「基地反対に反対することも言論の自由。その多様性を認めよ」と言われることがある。いま苦しめられている沖縄の人たちがあげる抵抗の声を不当な手段で封じ込めようとするのは、人びとの権利を一方的に剝(はく)奪する行為だ。それは言論の自由でも多様性の容認でもなんでもない。

 オリンピックは、平等で公正な場でアスリートたちが実力を競いあう場だ。毎回、閉会式では闘いを終えた選手たちが国や民族、性別などの垣根を超えて肩を組み、テレビカメラに向かって笑顔で手を振り、見ている人たちともども平和の尊さをかみしめる。もし東京大会が開催されても、コロナ禍ではいつものような交流の風景は見られないかもしれない。しかし、その理念は少しも変わらないはずなのだ。

 多様性を奪う人や声を許すのは、多様性とは言わない。このことをしっかり心に刻んで、オリンピックに関してもそれ以外でも、これからも共に公正さや平和を目指していきたい。

(香山リカ、精神科医・立教大教授)