普天間の未来模型、行き場なく廃棄の危機 1995年に高校生が制作、返還合意で脚光 


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
引き取り手が見つからない普天間飛行場跡地利用模型を眺める比嘉良徳さん=2月、那覇市首里真和志町の首里高

 1995年に普天間高校の生徒が制作した米軍普天間飛行場跡地利用の大型模型が、廃棄の危機に直面している。模型は当時の担任、比嘉良徳さん(64)が赴任先の学校などに運び、約25年間、平和学習に生かしてきた。現在は首里高校にあるが、校舎改築に伴い、置ける場所がなくなる見込みだ。普天間高校や宜野湾市に引き取りを打診したが、場所の確保が困難なことなどを理由に断られた。比嘉さんは「このままだと壊さないといけない」と話し、引き取り手を探している。

「このままだと壊さないと…」 元教員の比嘉さん(64)

 当時の普天間高校1年生が学園祭の出し物として制作した模型は、幅1・5メートル、長さ3メートルほど。制作時は普天間飛行場に返還予定はなく、生徒が自由に思い描いた街を形にした。しかし、制作直後に日米政府が普天間飛行場の返還に合意し、模型は一躍脚光を浴びた。全国放送のメディアが取り上げ、全国的に知れ渡った。

 当時の生徒は県外に招待されて講話したり、平和集会に参加したりと、模型を通じてさまざまな経験を積んだ。比嘉さんは「造る前は普天間飛行場がなくなるとは誰も思っていなかった。当たり前と思っていた現状が、当たり前ではないと気付くきっかけだった」と振り返る。

 模型は一時、佐喜眞美術館に展示された。その後は北中城、糸満、本部、小禄、首里と、比嘉さんの赴任した高校で展示され、平和学習に活用された。比嘉さんは、2017年3月に首里高校の校長で退職。その後は同校が模型を預かった。

 「普天間飛行場は返還が決まったはずなのに、いつの間にか辺野古移設と交換条件になってしまった。模型を造った時よりも、後退しているようだ」。返還より前に模型の方がなくなる可能性が浮上し、比嘉さんはやるせなさを感じる。

 当時の生徒と連絡を取り、模型が廃棄になる可能性を伝えた。元生徒からは「こんなに長く大切にされているとは知らなかった」「もし壊されるならお別れ会を開かないと」などの反応があった。比嘉さんは「模型は生徒とのつながりもつくってくれた。お別れ会より、新しい引き取り手が見つかった時のお祝いをしたいね」と話した。(稲福政俊)