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伊良部高校(上)37年で閉校…小さな島の挑戦刻む 川満博昭さん、島尻勝彦さん<セピア色の春―高校人国記>


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今年3月で閉校した伊良部高校の正門

 3月6日、県立伊良部高校の第35回卒業式と閉校式が開かれ、37年の歴史に幕を下ろした。卒業生の総数は2175人。最後の卒業生は5人であった。

 離島振興と教育の機会均等を図るため1984年4月、宮古高校伊良部分校が開学した。高校設立を求め地域の取り組みが実った。86年4月には伊良部高校として独立開校した。

 「小さな島から大きな挑戦」を合言葉に教員と生徒、地域が一体となって学校をもり立てたが、過疎による定員割れが課題だった。2015年に町民悲願の伊良部大橋が実現したものの人口流出が続き、18年に閉校が決まった。

 卒業式・閉校式に続いて「感謝の集い」が開かれた。あいさつに立った伊良部高校同窓会会長の川満博昭(52)は「伊良部高校が閉校になっても私たちが受けた教育は消え去ることはない」と壇上から会場の出席者に語り掛けた。

37年の歴史を閉じた伊良部高校の卒業式。最後の卒業生は5人だった=3月6日、宮古島市伊良部

 川満博昭(52)は伊良部高校の1期。県立宮古病院の医師として地域医療に尽くしてきた。

 開校時、高校設立をめぐって「島に閉じこもっていては勉強などで切磋琢磨(せっさたくま)する機会が減るのではないか」という声を聞いた。川満自身は「伊良部高で学ぶことが不利だとは思わなかった」と話す。

 開校から37年を経ての閉校。「高校生の時、こういう未来が来るとは思わなかった」と語るが、母校への感謝の念は変わらない。

 「伊良部の人々は自分たちのことは自分たちで何とかしようという思いが強い。そして子どもを大事にしてきた。その発露として高校ができた。僕たちはみんなに大事にしてもらった」

 同窓会として島内の学校図書館に文庫を創設することや福祉ボランティア活動に取り組むことを考えている。「学校はなくなっても同窓会はずっと続きますよ」

 同窓会副会長の島尻勝彦(52)は川満と同じ1期。現在、宮古島市役所に勤めている。「学校がなくなるのは寂しいが、2175人の卒業生が育った。これからは同窓会として地域に寄与したい」と思いを新たにする。

 「84年に入学した時は、何もない学校だった」と振り返る。「毎週水曜の7校時の勤労体験学習で花壇を造って花を育て、木を植えた。生徒と先生が親睦を深めながら作業した。自分たちで高校をつくったという誇りがある」
 伊良部島の酒造所・宮の華の下地さおり社長(51)は2期。「目の前に学校ができ、同級生のほとんどが伊良部高に入学した。先生と生徒の距離は近く、3年間、エンジョイできた」と振り返る。

 始業前の「ゼロ校時」の授業が思い出という。「勉強は嫌いだったけど、『ゼロ校時』は新鮮で楽しく学べた。校長の岡村一男先生も授業に出てくれた。それが記憶に残っている」

 島の豊かな自然の恩恵を受けて育った。「カタツムリを調理したり、野イチゴを食べたり。ちょっと貧乏だけど、今で言えばエコ。私の心と体に自然のありがたさが染み込んでいる。伊良部に生まれて良かった」と語る。高校を卒業後、島を離れたが23歳で戻り、家業の酒造所で働いてきた。

 下地も寂しさとともに閉校を受け止める。

 「いろんな体験ができた学校だ。閉校は寂しいが時代の流れもある。変化している時代の中で、地元の会社として何ができるかを考えていきたい」

 卒業生はそれぞれの場で母校の閉校を受け止め、島の将来を見つめている。下地の思い出に残る初代校長、岡村一男は閉校式にメッセージを寄せた。

 「地域の情熱と開校の精神は人々の心に確(しか)と刻まれ、学園を巣立った二千有余の若鷹の胸に生き、飛躍へのエネルギーとなる。母校は永遠である」

(編集委員・小那覇安剛)
(文中敬称略)