[日曜の風・香山リカ氏]「命どぅ宝」に立ち返ろう 五輪とコロナ禍


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 ある日の病院での出来事。診察室でカルテをまとめていると、隣の部屋から内科医が患者さんに説明する声が聞こえてきた。「コロナによる肺炎ですね。でも今の時点では症状は重くないので、保健所から自宅療養を指示されると思います」。

 私は耳を疑った。肺炎なのに入院しない、そんなことがあるのか。ただ、確かに東京でもコロナ患者用の病室は埋まりつつあり、呼吸困難など重い症状が出ている人しか入院できない、と聞いていた。私にできることは、隣の診察室から「この人が自宅で急変しませんように」と祈ることだけだ。医者としての無力感にさいなまれた。

 「命どぅ宝」という言葉があるが、これはまさに私たち医療従事者の基本的な理念でもある。「何のために医者や看護師をやってるの?」と聞かれたら、誰もが「何より大切な命を守るため」と答えるだろう。それが今、できなくなりつつあるのだ。こんな悲しいことがあるだろうか。

 医療現場で「命どぅ宝」の原則が守られなくなれば、当然、一般の人たちの命も危機にひんすることになる。実際にコロナ感染者が自宅療養中に亡くなったり、がんの人たちの手術が延期されたり、といったニュースが毎日のように報じられている。

 その一方で、東京五輪・パラリンピックの開幕が刻一刻と近づいて来ている。私のふるさと・北海道では、感染者が急増する中、マラソンのテスト大会が開催された。現地にいる医者の友人から、「札幌の医療もひっ迫する中でのマラソン強行で、空気が一層、重苦しくなった」というメールが来た。

 命どぅ宝。命ほど大切なものはない。こんな当たり前のことを忘れてまで、私たちはオリンピックを開催しなければならないのか。

 アスリートの思いは分かる。準備してきた人たちの苦労も分かる。でも、もう一度、基本に戻って考えてみてほしい。全ては「命があってこそ」なのだ。

 まずは人手や財源を全てコロナ対策に集中させ、誰もがひとつずつしか持っていない命を守る。選択はこれしかないはずだ。

(香山リカ、精神科医・立教大教授)