「復帰」49年でも残る基地禍 自衛隊配備に警鐘も <5・15平和集会>


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 日本復帰から49年となった15日、5・15平和行進実行委員会は、北中城村の米軍キャンプ瑞慶覧ゲート前で行進の代替となる集会を開き、復帰後も残り、強化される軍事基地に疑問を呈した。集会アピールでは、平和憲法を守ることや普天間飛行場の早期閉鎖・返還の実現、名護市辺野古の新基地建設の撤回などを求めた。決意表明をした登壇者の発言と大会宣言を紹介する。


集会アピール(要旨)

 復帰を経てもなお巨大な米軍基地は居座り続け、事件や事故、爆音、演習などによる被害が日常的に繰り返されてきた。軍隊は住民を守らないという沖縄戦の教訓から、あらゆる軍隊と戦争策動を拒否してきた県民にとって、自衛隊配備は戦争への道への逆戻りでしかない。復帰49年を経た現状は、日米軍事一体化による、米軍と自衛隊の増強となって表れている。

 (1)普天間基地の閉鎖・返還の早期実現(2)辺野古新基地建設の断固撤回(3)普天間基地のオスプレイ撤去と嘉手納基地への新たな計画に反対(4)高江オスプレイパッドの撤去(5)南西諸島の軍事基地化に反対(6)軍事によらない平和外交の推進(7)教科書問題に見られる歴史歪曲(わいきょく)を許さない(8)改憲を断固阻止し、平和憲法を守る

 復帰50年の2022年の平和行進が県民と共に開催できることに希望を託し、以上の課題の解決に向けて決意を新たにする。


山城博治氏「平和つくるのは県民」

山城博治氏

 コロナ禍でぎりぎり小さくして予定していた平和行進も中止せざるを得なくなり、今日はこのようなアピール行動となった。

 あっという間の49年、来年は50年になる。時間はあっという間に過ぎているようだが、基地のない平和な沖縄という願いは遅々として進んでいない。それどころか、基地はさらに強化されている。この島が戦争の餌食になることを許さないという決意で5月15日を迎えた。向こう50年に向けて、堂々と勇気をもって「平和をつくるのは私たちだ。沖縄県民だ」という思いで邁進(まいしん)していこう。

佐久川正実氏「日米軍事強化許さぬ」

佐久川正実氏

 沖縄戦犠牲者の遺骨が眠る(本島)南部地区からの土砂採取計画がある中で、今年の5・15平和行進はひめゆりの塔と八重瀬町のコースで縮小開催を予定していた。2年連続で実施することができなかったことは非常に残念でならない。

 現在、辺野古新基地建設をはじめ、国は離島の自衛隊基地を増強し、日米軍事一体化を強権的に推し進めている。この状況を決して許してはならない。将来、子や孫に戦争のない平和な沖縄を残していくことが私たちの使命だ。来年の復帰50年の節目は力を合わせ必ず成功させよう。

佐次田秀樹氏「これ以上犠牲いらぬ」

佐次田秀樹氏

 復帰から49年がたった。5・15平和行進は護憲や反安保の思いを継承してきた。

 この間、憲法改悪や安保同盟の強化、先島の自衛隊配備など、沖縄に関わるさまざまな問題が横たわってきた。沖縄は犠牲にされ続けている。今こそ、「これ以上はごめんだ」と声を上げたい。

 沖縄戦の経験から、軍隊は住民を守らないことを学んだ。正義の戦争はないと考えている。戦争の解決に武力は必要ない。これ以上の犠牲はごめんだ。反戦平和の活動を平和運動センターや、皆さんとともに頑張りたい。

奥間信康氏「生活脅かす米軍優先」

奥間信康氏

 私たちは県民に命の水を提供する仕事に従事しており、昨今では有機フッ素化合物PFOSの問題に直面している。嘉手納基地の調査を申し入れているが、いまだ実現していない。日米地位協定により米軍優先の政策が行われ、私たちの暮らしが脅かされている。

 新型コロナウイルスの影響で2年連続で行進が中止になったことは残念だが、私たち労働者は平和があってこそ、賃金、労働条件の交渉もできる。この大前提の下、反戦平和の声を世界の労働者とともに発信し、沖縄や世界から基地が撤去できるよう連帯しよう。