[日曜の風・吉永みち子氏]あぶり出された非情 コロナ対策禍


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吉永みち子 作家

 今の日本の状況は、コロナ禍ではなくコロナ対策禍だと書いていた人がいた。なるほど、うまいこと言うなあと思った。向かうべき道を支える哲学がない。だからビジョンも示せない。よって対策は全て後手後手の泥縄状態。そのために生活が奪われていく。

 炊き出しの列になかなか並べない62歳の男性の話を新聞で読んだ。飲食店の清掃の仕事を失い、次の仕事は見つからず、貯金もすぐ底をついて所持金10円というこの人にとって緊急事態宣言の延長はまさに死活問題なのだ。

 渋谷の街を歩いていたら、キャリーバッグを横に置いてガードレールにぼんやり腰掛けている20代後半くらいの人がいた。「ホームレスになったばかりなんでしょうね。最近、増えているんですよ」と地元の人が言った。派遣やバイトで生計を立てていた人たちは、蓄えも少なく、仕事を失って2カ月もすれば部屋代が払えなくなって追い出される。帰れる田舎のない人は都会でホームレスになってしまう。

 真面目に一生懸命働いて生きてきた人たちが、炊き出しに並ばなければならない。つらい気持ちになって、公田耕一という名を思い浮かべた。公田さんは、2008年暮れから翌年秋口まで朝日歌壇に投稿し続け、28首の入選作を残して消えてしまったホームレス歌人と呼ばれた人だ。消印と、「哀しきは寿町といふ地名 長者町さへ隣にはあり」という一首から横浜寿町のドヤ街からと推測されていた。

 「柔らかい時計を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ」

 これも公田さんの入選作。柔らかい時計とは、サルバドール・ダリの「記憶の固執」という作品の溶けて柔らかくなった時計だろう。路上という“こっち側”と、かつて自分の生きた硬い時間の“あっち側”を何気に対比させている一首だ。

 なんてことを飲食店で働く息子に話したら、「もうこっち側もあっち側もないんだよな。前は外部の人って感じで同情できたりしたけど、今は内部の身内みたいな気分を共有している感じだ」と言った。コロナのせいではなく、コロナがあぶり出した非情な現代社会の姿なのかもしれない。

 懸命に働いてささやかな楽しみを糧に生きている人が、普通に生きていける世の中であってほしいと切に願う。

(作家)