移民の歴史 忘れないで きょう「海外移住の日」 連合会「沖縄の戦後支えた」


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
海外移住の日を「忘れないで」と語る(右から)沖縄パンアメリカン連合会の大山盛稔会長、沖縄アルゼンチン友好協会の与座宏章会長=16日、那覇市

 6月18日は「海外移住の日」。1966年に総理府(現内閣府)が制定した。移住経験者らでつくる沖縄パンアメリカン連合会は1994年からこの日に交流会を開いてきたが、新型コロナウイルス感染拡大を受けて今年は2年連続で中止となった。同会会長の大山盛稔さん(69)=那覇市=は「移民を受け入れてくれた国々に感謝する日だ。今の沖縄をつくった移民の歴史を忘れないで」と呼び掛ける。

 沖縄からの初めての移民は1899年12月5日。金武町出身の當山久三が第1回移民27人をハワイに送り出した。海外移住の日は1908年6月18日に、県系人325人を含む781人の日本人移民が移民船「笠戸丸」に乗って、ブラジルのサントス港に到着したことにちなむ。

 沖縄カナダ協会長も務める大山さんは「祖父の代から続く移民一族」だ。祖父は1916年にカナダに移住し、その兄弟もブラジル、アルゼンチン、米ハワイに移り住んだ。「本家はブラジルに墓も移した。親戚が多いのも沖縄よりブラジル」と笑う。墓を移した際は現地のユタも訪れ、重箱を囲み多くの親族が集まったという。

 大山さんは沖縄で生まれたが、復帰後に「日本になってうまくいくか心配だった」とカナダへ移住した。大学で農業を学んだことを生かし大規模農場で働いた。帰沖後も沖縄サミットで、カナダ首相を南風原町に招待することに協力するなど橋渡し役となった。

 同連合会に加盟する沖縄アルゼンチン友好協会会長の与座宏章さん(59)=南風原町=は「移住者、子孫は各地で活躍し、沖縄の戦後復興も支えた。文化を変えずに残していて、ウチナーンチュとしてのアイデンティティーは比べものにならないほど強い」と語る。「海外移住の日」を機会に目を向けてほしいと訴える。
 (仲村良太)