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22歳、現役最後の年に日本代表「今が100%」 カヌースプリント カヤック・山田義人 <ブレークスルー>


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報得川での練習に汗を流す大正大の山田義人=5月28日、糸満市(喜瀬守昭撮影)

 9月にポルトガルで開かれるカヌースプリントのU23世界選手権。男子カヤックペア500メートルで山田義人(22)=沖縄水産高―大正大4年=が念願の日本代表の座をつかみ取った。くしくも現役は終えようと決めていた年に最後に巡ってきた世界の舞台。「持てる力を最大限出せるようにしたい」と競技人生を懸けて挑みにいく。

 ペアを組むのは同じ大正大3年の田中政弥。5月の海外派遣最終選考会に出場し1分37秒795で勝利した。高校から競技を始めて全国優勝は初。高校から追い求めてきた悲願を成し遂げ、もう一つの目標だった代表にも選出された。

■「日本一を取る」

 カヌー・カヤックを始めたのは沖縄水産高のカヌー部に入ってからのこと。乗るのにも「初心者だと1カ月はかかる」という難しさだったが「頑張った分、成果に表れる」とすぐにのめり込んだ。

 「水のつかみ方に独特の感性がある。一こぎの伸び、質が違う」。指導した平良祐喜教諭が高く評価するパドルの使い方で見る見る上達する。こぎに影響する艇内での足の使い方が巧みで、足腰の強さも合わさって最大限に推進力に生かすことができていた。

 2年には九州総体の1人乗りのシングルで決勝に勝ち進み、4位入賞。全国総体にも出場するなど頭角を現す。

 3年時には九州総体シングルと2人乗りのペアで優勝し2冠。全国ではシングルで3位に入ったが「自信はなかった。決勝に残っても差を大きく感じた」。力を出し切っての3位で、限界を感じていたという。それでも心残りがあり、大学で日本一を目指して競技を続けることを決意し、大正大へ進んだ。

■もう一つの道

大正大ペアの山田(手前)と田中政弥

 強い決心には平良教諭との出会いも影響していた。高校生らを導くことに憧れ、指導者への志が芽生えた。競技の仕組みを熟知するためにも、レベルの高い大学で戦っていくことは必要と考えた。

 しかし距離の短いスプリントの世界。高校時代から15秒ほど記録を縮めたのがやっと。タイムは思うように伸びない。「一定ラインにいくと、そこを維持して毎回記録を出すのが難しい」状況になった。それでもトップの選手と競えるレベルになり、昨年の選考会では2位につけ、手応えをつかんでいた。

 その後、コロナ禍での大学のオンライン化を受け、県内で練習を進めたことも気持ちを切り替える良いきっかけに。母校で高校生たちに指導する中で「逆に刺激をもらった。競技が楽しく、初心に戻れた」。指導者になる道を再確認するとともに、選考会に向けて気合が入った。

■区切り

 U23代表に選出されたことで、五輪に出場する日本代表候補にも名乗りを上げた形になった。実力について、平良教諭は「ナショナルチームに入るような選手に比べまだ体が小さい。彼のピークは今じゃない。オリンピックを狙える位置に入ると思う」と分析し、伸びしろを見込んでいる。

 しかし山田は「その先を目指すことは考えていない」ときっぱり。自身では「今が100パーセント」と捉え、少しでも力が落ちたと判断したら「競技は引退」と考えている。大正大卒業後は教員免許取得のため、長崎大への入学を目指すことにしている。

 大好きな海に関わる仕事に就こうと進学した沖水高だったが、カヌーとの出会いが、教員を目指す道につながった。平良教諭も「(指導者で)自分の代わりがいない」と山田の意思を尊重し、指導者として戻ってくることに大きな期待を掛ける。

 山田は「生徒たちと向き合ってくれる祐喜先生のように教えるのが夢。自分が、というよりは、指導者として日本代表選手を育成することに関わっていきたい」と目を輝かせる。コロナ禍で9月の世界選手権への出場はまだ不透明だが、集大成として力を出し尽くす。

(謝花史哲)