タリバン復権に「無力感」 米国留学、アフガン赴任を経験した元外交官が振り返る20年


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米中枢同時テロやアフガニスタン勤務での経験を振り返る官澤治郎さん=7日、那覇市の琉球新報社

 外務省沖縄事務所の前副所長で、現在は那覇市内で学習塾を経営する官澤(かんざわ)治郎さん(48)=沖縄グローバルセンター代表=は、米留学時の2001年に米中枢同時テロを目の当たりにした。その10年後には日本の外交官としてアフガニスタンで働くことにもなった。米軍撤退とタリバンの復権というアフガンの現状に、「この20年が振り出しに戻ったかのようで、むなしさと無力感を覚える」と語った。

 01年9月11日の朝、ニューヨークの米コロンビア大で授業を受けていると、教室の外が騒がしくなった。授業は中断され、教室から出ると世界貿易センタービルが見えた。既に煙が上がっている。大学構内も粉じんや煙でうっすら曇っていたと記憶している。

 テロ以降の米国内の雰囲気は異様で、クリスマスが近づく11月になっても、街に飾られたのはツリーではなく星条旗だった。「こんなに団結するのかと衝撃を受けた。怖さもあった」と振り返った。

 外務省採用後の09年から1年3カ月ほど、アフガニスタンに赴任した。国際治安支援部隊の地方復興チームの一員として中西部ゴール県へ入った。特に思い入れが強い仕事は、タリバン政権下で教育を受けられなかった女の子たちが通えるよう、複数の学校を造ったことだ。今頃は学校で学んだ子どもたちが成人し、社会の担い手として活躍するはずだった。

 だが、現実に起こったのはタリバンの復権だ。官澤さんはアフガニスタンに残された知人や家族の身を案じている。

 アフガニスタンの国造りに携わる上で、価値観や国家観を押しつけるのではなく、現地に合うような地方重視を意識していた。それは米国や欧米各国も同様のはずだった。だが「その努力が足りなかった。米国は欧米型の民主主義国家樹立の幻想を捨てきれていなかった」と指摘する。

 一方で、官澤さんは「この20年が全くの無駄じゃなかったと信じたい」とも語る。タリバン政権下であっても、20年間の地方復興で生まれた「正の遺産」を生かしてほしいと望んでいる。

 (明真南斗)