又吉栄喜さん×大城貞俊さん 沖縄文学の可能性とは? 新刊記念対談


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「書くこと・読むことの楽しさ―沖縄文学の可能性を求めて」をテーマに対談する作家の又吉栄喜さん(左)と大城貞俊さん=ジュンク堂書店那覇店

 芥川賞作家の又吉栄喜さんと、作家で詩人の大城貞俊さんが今年、相次いで新刊を出版した。沖縄文学をけん引する2人の作家が新刊本発刊にちなみ、ジュンク堂書店那覇店で対談を行い、テーマ「書くこと・読むことの楽しさ―沖縄文学の可能性を求めて―」を考察した。(高江洲洋子、田中芳)
 

自己変革

 大城 又吉さんにとって書くことの楽しさとは?

 又吉 書くことで新しい体験ができる。たとえば「人生は退屈だ」と思っている人が日夜書き続けると、これまで見えなかったものが見えるようになる。あわよくば小さい自分を大きく、貧相な自分を孔子のようにも表現できる。極端にいうと自己変革。究極楽しいことなんですね。

 大城 又吉さんは大学卒業後、体調を崩して入院した時期があったと聞いているが、表現者になろうと思ったのはいつ頃から?

 又吉 20代前半で肺結核を患い1年間、結核療養所に入院した。退院したとき、人も自然も物も周りの世界が生き生きと見えたまらなく表現したくなった。第1回新沖縄文学賞に「海は蒼く」という作品を応募した。運よく佳作になり雑誌に掲載された。弾みがついて雪だるまのように表現欲がふくらんだ。僕に限らず全ての人が表現欲を持っていると思う。

 大城 私はどちらかといえば楽しいとはいえない。ただ書かねばという必然性があって。書くことは私の人生に必要という感覚があるんですよ。大学時代、全共闘世代で首里の大学(琉球大学)で学んだが、政治的な状況にコミットできなくて頭を抱え悩んでいた。詩を書くことによってバランスを取っていたというか、権力や体制への怨念を吐き出していたところがある。詩から小説に転じた背景には、父親の死があった。病と闘っている父親を見舞いに訪れる教え子や親戚がいて、人間は誰もが死ぬと分かっているのにみんなが一生懸命生きようとする。人間とは案外、いとおしむべき存在ではないか。「この社会は生きるに値する」と考えるようになった。
 

沖縄文学の可能性

 大城 沖縄文学の特質を大きく四つ挙げたい。一つ目は沖縄の作家たちは沖縄戦や基地被害など(沖縄を取り巻く)状況に対して倫理的であること。二つ目は国際的なところ。例えば米軍基地があるが故に、又吉さんの「ジョージが射殺した猪」のように米兵たちの愛憎を描いた作品がある。移民県だから外国が舞台の作品がある。三つ目は沖縄戦の記憶の継承が大きなテーマになっている。最後に、しまくとぅばの問題がある。沖縄の言葉をいかに日本語に取り込むか、この四点が特徴をなしている。

 又吉 まずは琉球王国だったことを認識すべきだと思う。しまくとぅば、差別や劣等感の問題は元々、沖縄が日本国の一部なら出てこない。沖縄は移民王国だが、移民というのは今の世界に当てはめると難民と重なる。沖縄は今の世界を凝縮していると考えると、沖縄文学は無限に広がるのではないか。

 大城 沖縄文学では常に言葉の力が試されていると思う。政治的に厳しい状況におかれているから、政治に対峙し、政治よりも力のある言葉を探して、表現者たちは苦闘を続けているのではないか。言葉は沖縄の人々の生活の中にあるんじゃないかという気がしている。例えば詩人の八重洋一郎さんは(詩集の題名にもなっている)「日毒」という言葉を拾い上げた。「日毒」は琉球処分の頃に使われた言葉で、日本に毒された沖縄、その日常は今も続いているのではないかと問うている。ものすごいインパクトのある言葉です。私たちが日々の生活から目を離さない限り、そういった言葉の発見ができると思います。
 

表現者への期待

 又吉 今の沖縄の書き手は少しおとなしい気がする。あったことをあったように書いている。文学はあり得ないことをあるように書く、あるいはあり得ることをないように書く。そういう姿勢も必要に思う。ロシア文学には(権力に)挑む作品は結構ある。ゴーゴリの「検察官」「外套」は小市民が権力にあらがうというか挑む。「挑む」は文学の一つのキーワード。笑いの力も相当伝播(でんぱ)する。庶民一人ひとりが権力者を笑うとそれが伝播する。政治家にとって一番怖いことのようです。文学で悪政を笑い飛ばすのも一つの武器になるのではないでしょうか。

 大城 沖縄の表現者たちはフィクションとして小説の壁を外して、もっと書きたいものを書いていい。例えばノーベル賞作家のパトリック・モディアノやスベトラーナ・アレクシェービッチには、証言やルポルタージュ風の作品が多くある。証言と小説、フィクションとノンフィクションの境界をあいまいにしたような作品があってもいいのではないか。

 又吉 沖縄の歴史とか年中行事や神話、沖縄戦や米軍基地など日常生活の背景にあるものを人物にしみこませて、誰もがその上に立っていると読者に気づかせるような手法で書けたらいいのでは。シュールなものを現実に近づけるか、現実をシュールにするかして、かつ大胆に独創的に主人公を描く手法によって、沖縄の現実が強烈に現れるような操作が必要だと思う。その辺に気をつけるとすごく良い作品が生まれる可能性はある。
 

新刊本

 大城 又吉さん、最後の話題ですが、新刊本の『亀岩奇談』について、紹介してください。

 又吉 サンゴ礁の海の創造と破壊、この二つを主題として書いた。創造は海がもたらす生命力、破壊は海の埋め立て。極楽とんぼと軽んじられている主人公が母の故郷で自治会長選挙に押し出され、政治家や人々の欺瞞(ぎまん)や悪が見えてくる。同時に根本的な善も見えてきて、最後に(主人公は)沖縄の精神を全うするため「亀の精」になるという、普通なら驚愕(きょうがく)する結末になる話です。

 大城 「風の声・土地の記憶」は、沖縄戦を世界的視野、現在の視点から考えたいと書いた作品。コソボやトルコの現在や、その土地の歴史と沖縄戦の死者の声を合わせた。それによって沖縄戦や沖縄の今が浮かび上がってくるのではないか。そんな意図を込めて書いた作品です。
 


 またよし・えいき 1947年浦添市生まれ、作家。76年「カーニバル闘牛大会」で琉球新報短編小説賞、96年「豚の報い」で芥川賞受賞。著書に「巡査の首」「ジョージが射殺した猪」など。

 おおしろ・さだとし 1949年大宜味村生まれ、詩人、作家。山之口貘賞、沖縄市戯曲大賞など受賞。著書に小説「椎の川」、評論集「多様性と再生力―沖縄戦後小説の現在と可能性」など。

 


 

又吉さん新刊 「亀岩奇談」

 
 生きる意味を見失った主人公が、母親のふるさと「赤嶺島」での自治会長選挙に巻き込まれていくところから物語は始まる。海の埋め立てや政治とカネ、聖なるものと俗に翻弄される主人公と周りの人々が寓話的に描かれ、それは現在の沖縄の縮図に重なる。燦葉出版社刊。
 
大城さん新刊「風の声・土地の記憶」

 
 沖縄戦の体験者や死者たちの記憶をオムニバス形式で、著者の海外訪問記をはさみながら紡ぐ。著者はドイツ、ボスニア・ヘルツェゴビナ、済州島などを巡り、土地の記憶をつづる。沖縄の歴史を普遍的にとらえる、新たな視点を提起してくれる。インパクト出版会刊。