日本最西端、国境の島・与那国。その言語は、八重山郡の主島・石垣島の言葉とも通じないほど変化し、琉球諸語の中でも一区画として立つほど特異である。民謡に関しても、一つの山脈を形成するほど奥深く、一地域の音楽として、われわれの目の前に存在する。「外からの影響を受けながらも、島の言葉で咀嚼(そしゃく)して歌われるのが与那国民謡だ」と主張する与那国民謡歌手、與那覇有羽(ゆうう)。本職は民具製作者である。
小浜 どぅなん(与那国)生まれ?
有羽 はい、1986年です。
小浜 断崖絶壁の島みたいですが、浜辺は?
有羽 ありますよ。小さい浜が多い。遠浅じゃないから泳ぐのはけっこう危ない。小さい頃は寒くなる季節まで毎日泳いでいた。
与那国島は「東西に長く、南北に狭い、ちょうどガジュマルの葉のような形である」とは『与那国の歴史』の著者・池間栄三。ハブは生息しないが、中央部には標高200メートル以上の山が連なる、起伏に富んだ地形である。また島の四面は切り立った断崖絶壁で、かつて、「絶海の孤島」「さい果ての島」と称され、過酷な自然環境の上に島の歴史が刻まれたといってもよい。最近では「海底遺跡」が発見され、観光スポットとして注目を浴びたり、テレビドラマのロケ地になったりと、ユニークな存在感を示している。また、与那国馬の存在も、とみに注目を集めている。
小浜 芸能が盛ん?
有羽 そう、行事が多くて、三絃(さんしん)よりも笛や太鼓の音で、祭りの季節を感じて、獅子舞や棒術などを追っかけて見てた。
小浜 三絃伴奏で民謡が歌われたのは?
有羽 戦後のこと。ほとんどがアカペラで伝えられてた。同じ曲のバージョンが、上げ調子とか下げ調子とか幾つかあって、工工四に採用する際に迷ったみたい。
恵まれた音楽環境
有羽の父方の祖父は芸能好きで、その兄弟は村芝居の地謡をする程の腕前。また母方の祖父は「ラジオなんた」という親子ラジオを持っていて、そこに行けばレコードが聴けて、音楽環境的には恵まれていたという。幼い頃の遊び相手は与那国の自然、カマ一つ持ってカンカラ三絃や弓矢など興味があるものは何でも作った。
小浜 沖縄県立南風原高校郷土文化コースに進学するわけですが?
有羽 元々勉強が好きじゃなくて、就職するつもりで那覇へ行く準備してたら、周りから進学しなさいと言われた。三絃弾いて卒業できる学校があると聞いて決めました。
小浜 高校時代は三絃三昧(ざんまい)?
有羽 三絃は一番好きだけど一番苦手だった。胡弓とかにも興味あったし、道具作りが得意だったから、獅子舞や踊りの小道具作りに精出してました。
多様な出会いを糧に
高校時代、彼はいろいろなアルバイトを経験した。有羽は言う「三絃のおかげで学費が稼げた」。筆者もその頃から有羽を知っているが、持ち前の明るさと、人好きのする彼はどんな場所でもどんな状況でも三絃を弾いた。彼は多種多様な人との出会いを通して「うた」の要素を吸収して行くという、今では珍しいタイプのウタサー(歌手)である。
小浜 与那国に帰ったのは?
有羽 県立芸大に進学したものの、家庭の事情や何やかやで中退して島に帰った。今年で10年なるけど、沖縄でいつも身のよりどころにしていた“与那国”というものに身体ごと浸かりたかった。
小浜 子育てしながら民具製作者として生計を立てて行くのですが?
有羽 那覇で働いていた三味線屋で、踊りの小道具を作ったり、民具も作ったりしてて、人の意見を聞いて改良するのが楽しかった。島に帰っても注文が来たので自然に民具屋してました。
民具の材料である、島に豊富にあるクバ(枇榔)の葉が山の様に積まれても、三絃は必ず手の届くところに置いて仕事している。有羽にとっては、仕事や食事の合間に弾く三絃は、うまく歌うということより、島での生活のリズムに過ぎないという。現に音程が合っているか自分でも分からない、と大声で笑った。
小浜 昨年CD『風の吹く島~どぅなん、与那国のうた』をリリースしました。
有羽 はい、リスペクトレコードの高橋研一社長に声掛けてもらって。関係者の方々には本当に感謝してます。
チームプレー
有羽にとって録音というのは別の世界だったという。録音した音をヘッドホンで耳にするプレイバックも自分の声だかもよく分からなかった。とにかく言われるがままに歌うしかないと思って歌った。CD作成というのは、歌い手の技術もあるかもしれないけど、さまざまな人との連携で作業するチームプレーなんだとつくづく思ったという。現場でもそうだし、出来上がって、買ってくれるのも含めての人間関係の作業だと。「めっちゃラッキーでした」と相撲取りのような大きな身体全体が揺れるほど高笑いした。
小浜 今年は「ハララルデ 与那国のわらべうた」をリリースしましたが。
有羽 これは妹の太田いずみが頑張ってディレクションしたCDで、言えるのはどちらも全曲「がっつり与那国」だということ。これからです。成否の批評は。でも感謝です。
歌詞の臨場感「どぅなんとぅばるま」
どぅなんとぅばるま
一、南向(はいん)きとうんかれや
南(はい)ぬ崖(きち)たらんたらんし
北向(にちん)き とうんかりゃ
シンダーサーリャ ヤーサ
裏表(うらむてぃ) ふぎるんにし
シンダーサーリャ ヤーサ
ヨーサヌ 裏表
ふぎるんにし
訳
一、南向けば
南の崖から
ドロンドロンと響き
北の方を 振り返ると
島の裏表が
筒抜けるようだ(島が小さい様を描写)
島の厳しさが 身に沁みる
~~肝誇(ちむぶく)いうた~~
『どぅなんとぅばるま』は三絃弾かないものという意識が強く、なおかつ、歌う人それぞれの歌い方をする特徴がある、と與那覇有羽は強調する。「何でもあり」だとすると、少し乱暴だが、洗練されていない中での、その場その場でのやりとりで歌い、テキスト化されてない歌詞の臨場感がたまらないという。
八重山民謡を代表する「とばらーま」が与那国へ行くと「どぅなんとぅばるま」となる。「とばらーま」では琉歌の上句で一区切りするのに対して、「どぅなんとぅばるま」では下句の途中まで区切らずに歌い、気合を入れ直して残りの歌詞を歌うという形式をとる。起伏の激しい地形にプラスして、台湾からの風が自然を厳しくし、農作業はより困難なものになっている。
「どぅなんとぅばるま」はそんな風土(夏はより暑く、冬はより寒い)を反映しているといえそうだ。与那国語に残る「とぅばるん」(日本古語の「とぶらう=訪ねる」)という言葉は、男女が逢い引きするという意味で今でも使われ「とばらーま」の語源のひとつともされている。