「日本マラソンの父」金栗四三の激励が力に 学生時代に対面


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
当時愛用していたシューズを持つ崎浜宏信さん=10月26日、名護市

 【北部】13日は日本人初のオリンピック選手で「日本マラソンの父」とも呼ばれる金栗四三の命日(1983年他界、享年92)。名護市の崎浜宏信さん(65)は大学4年のころ、金栗の名を冠したシューズメーカー「ハリマヤ」のランニングシューズを履いて九州一周駅伝大会に出場した際、金栗本人と対面したことがある。

 大会は1978年11月に熊本県であり、崎浜さんは県代表第1走者を務めた。スタート会場で、椅子に腰掛けた金栗に遭遇。「雲の上の存在だ。こんなチャンスは二度とない」と思い立ち声を掛けた。「沖縄の崎浜です。先生のシューズで走らせてもらいます」とあいさつすると、金栗は「頑張りなさいよ」と激励し握手してくれたという。

 崎浜さんは駅伝大会直後に開催された1万メートルの競走大会でも同じシューズを履いて出場し沖縄新記録を樹立したという。「先生のおかげで気持ちよく走ることができ、結果も出せた」と振り返る。

 今でもそのシューズを大切にする。「沖縄から上を目指してほしい」。当時の金栗のように次世代を担う若い駅伝・陸上選手らを応援し活躍に期待を寄せた。
 (長嶺晃太朗)