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ふるさと沖縄に帰り考えたこと<伊是名夏子 100センチの視界から>111


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
大宜味村の海にて

 コロナの感染者数が落ち着いた11月中旬、両親に会うために4泊、ふるさとの沖縄に帰りました。子どもは学校を休ませないといけないので悩んだのですが、年末年始はコロナがどうなっているのかわからないので、急ぎ帰沖を決めました。

 両親と過ごすことと、子どもにとって楽しいことがメインだったので、私のやりたいことはほとんどできませんでしたが、いい時間になりました。やんばるの森をガイド付きで歩き、いろいろな虫を発見し、木の実を食べ、子どもは大喜び。ヤンバルクイナも見て、海にも二回入りました。実家に生えている月桃の葉を使ってムーチーを作ったり、シーサーを見つける散歩をしたり。平和について学びたかったので、ひめゆり平和祈念資料館、佐喜眞美術館にも行きました。何度行っても新しい発見がありますが、一人一人の戦争体験を知るのと同時に、戦争に向かってしまった背景について、これからもっと学んでいきたいと思いました。道の駅かでなから、嘉手納基地を見た息子は「大きすぎて端が見えない」、左右が基地に挟まれた国道330号を車で走っていると、娘が「フェンスばかりだね、おりの中にいるみたい」と言っていました。

 平和について学んだつもりだったのですが、祖父母と行ったおもちゃ屋さんで、息子は戦車のおもちゃを選び、私は正直がっかり。「おもちゃとはわかっているけれど、家に戦争に関するものを置きたくない」と話をし、諦めてもらいました。

 そして関東に戻ってきて、友だちや、ママ友から「沖縄どうだった?うらやましい」と言われ、複雑な気持ちになりました。旅行ではないので、県外の人がイメージしがちなリゾートのような過ごし方とはほど遠いからです。平均収入が全国最下位なのに、土地の値段はほぼ関東と変わらないのはやるせないと思うし、次々に建つホテルにももやもやしてしまいます。コロナの影響で閉まったお店を見つけると心が痛かったです。琉球大学教授の上間陽子さんの「海をあげる」が全国本屋大賞になりましたが、リゾートだけではない沖縄の現実、苦しさが、全国に伝わることを切に願います。

 久しぶりの帰省はあっという間でした。次回はもっとゆっくり過ごしたいし、いつかまた沖縄に住みたいです。関東は一気に寒くなりましたが、沖縄のみなさんも季節の変わり目、ご自愛ください。


 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。