沖縄代表じわり上昇 20位台も射程…全国高校駅伝、歩みを振り返る


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社

 冬の京都で開催される全国高校駅伝大会。県勢男子の過去最高順位は1981年の第32回大会の30位で、2000年以降は最下位争いが続くなど成績は振るわなかった。しかし昨年、北山が34位に入った。37位に入った1997年の沖縄尚学以来、23年ぶりの男子30位台だった。その後も長距離の県高校記録を次々と塗り替えるなど急成長を遂げた今年の北山に県記録の大幅更新が期待されている。

 男子の大会は大阪を舞台に1950年に始まり、66年に京都で開催されるようになった。女子は1989年から。県勢の初参加は53年の第4回大会。北山が順位に反映されないオープン参加で出場した。「全国高等学校駅伝競走大会50年史」に掲載された当時の記事は「2時間38分48秒の最後尾に終わったが、沿道を埋めた在阪沖縄県人会の人々が熱い声援を送った」とつづる。

 第9回(58年)に沖縄選抜チーム、18回(67年)に宮古農林が同じくオープン参加した。以降は再び参加が途絶える。正式に県代表として毎年参加となったのは日本復帰後の1974年、25回大会から。この年、辺土名は47校中45位だったが、タイムは県予選を3分31秒も縮める2時間27分54秒と健闘した。

 81年の32回大会の北山が30位と躍進。これがいまも破ることのできていない県勢男子の最高位。

 北山30位メンバーで日体大に進んだ濱里正巳が85年、県勢で初めて東京箱根間往復大学駅伝に出場。92年には同大会で比嘉正樹(宜野湾高出、当時山梨学院大)が県勢初の箱根優勝メンバーとなった。

 しかし、県勢の長距離種目での苦戦は続く。都大路では5年に一度の記念大会などで各代表校のほか、地区代表校が出場するなど枠が増える。その中では50位台に沈むこともしばしば。30位台に入ったのは39回(88年)に沖縄尚学が34位、40回(89年)で豊見城南が31位、48回(97年)に沖縄尚学が37位。30位が大きな壁となってきた。

 一方、89年開始の女子は第1回から豊見城南が次第に順位を上げ、94年の第6回で11位に入った。県勢女子の最高順位だ。豊見城南は第9回(97年)でも12位に付けた。豊見城南は20位台も2回、30位台が2回ある。このほか、名護が2007、08年に30位台に入った。以降は男子と同じく最下位争いが続く。

 それだけに、2時間07分31秒で34位に入った昨年の北山男子の躍進は関係者の間で驚きが大きかった。さらに磨きを掛けてきたチームは県予選で2時間09分31秒を出し、31年ぶりに大会記録を更新。九州大会では2時間09分00秒で県勢初の入賞となる7位に入った。

 ただ、全国は高速化が進み、上位争いは熾烈を極める。30年前は2時間4~5分台が優勝ラインだったが、現在は2時間1分台に。北山の昨年の記録も10年前は15位に入る速さだったが、15位圏内は今や5分を切る記録が求められる。それだけに北山が掲げる5分切りが達成できれば、20位以内も見えてくる。

 男女各代表47校が出走する今年の男子72回、女子33回全国高校駅伝(たけびしスタジアム京都発着)は26日、女子午前10時20分、男子午後0時半出発で雨天決行される。