沖縄の伝統芸能、ジェンダー視点で見てみたら…女性実演家で広がる可能性<SDGsで考える 沖縄のモンダイ>


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 歌三線に、箏、笛、太鼓、胡弓、そして琉球舞踊。琉球王国時代の肝心(ちむぐくる)を今に伝える琉球伝統芸能は、高い芸術性とともにアイデンティティーのよりどころの一つとして県民の暮らしに寄り添っている。琉球芸能からことし、2人の女性が初の「琉球舞踊立方」人間国宝に認定された。これまでの琉球芸能の人間国宝は全て男性で、女性の認定は初となり、女性実演家にとって新たな扉が開いた瞬間だった。琉球伝統芸能の研さんを積む女性実演家の姿を紹介し、同芸能の今後のより発展的な在り方を考える。

 

 琉球芸能は琉球王府時代、冊封使を歓待する際の御冠船踊の場で士族の子弟が演じていた。宮廷芸能の担い手であった士族の多くは琉球処分(併合)によって野に下ると、商業演劇の場に活路を見いだす。旧士族の男性舞踊家たちによる舞踊道場開設などもあり、女性たちも琉球芸能を好んで個人的に習うようになっていったが、まだ芸事は主に男性が担っていた。

 女性が進出するきっかけは、1936年に東京で開催した日本民俗協会主催の「琉球古典芸能大会」だ。出演した新垣芳子が「容貌も姿体も、輝かしく美しいが、その『鳩間節』は特に、この女性の近代的感覚の鋭さと、こまかさとを発揮して、明快晴朗な印象をあたへた(「日本民俗」第2巻)」と、中央の批評家に評価されたことが、後押しとなった。

 1950年代の新聞には「組踊」の若衆や女役の立方に女性の名前が散見される点、琉球舞踊の所作を基本に、「唱え」(せりふ)が求められる同芸能でも、女性が一定の地位を得るようになっていたことが分かる。

組踊「執心鐘入」の稽古をする金城清一組踊会の上地美智子さん(左から3人目)ら=11月27日、糸満市の金城清一琉舞道場

 一方で同じ時期、米国統治下の沖縄では、首里王府を中心とした沖縄の芸能文化の復興運動が起こり、商業演劇の流れとは別の王国時代の貴族(御殿(うどぅん)、殿内(どぅんち))を中心とした芸能の流れにも焦点が当てられ、御冠船の舞台が一つの標準とされた。

 中央にも同様の傾向があり、例えば国文学者・民俗学者の折口信夫は50年に、御冠船踊の舞台の経験者である松島親雲上や嵩原安宏から踊りを習った、明治以降の沖縄を代表する実演家の渡嘉敷守良に宛て、次のような文章をつづっている。

 「女踊りにしても、女性の参加に頼ることなく発達して来ただけに、その良さも、すべて男性的な点にある(略)まづ渡嘉敷に男弟子あれ」

 そのような、士族の男性が担った琉球王国時代の御冠船踊の原形を志向する時流もあり、本土復帰の72年5月15日、組踊が国の重要無形文化財に指定された際、演技・演出の要件の一つに「女方によること」の文言が記された。しかし、この頃にはすでに男女ともに琉球芸能の伝承を担っていたため、女性舞踊家に出演してもらわなければ、組踊の上演が難しい状況だった。

 後継者の養成が急務となり、73年に伝統組踊保存会による後継者養成が始まった。1990年には県立芸大に音楽学部邦楽専攻が設置され、古典音楽や舞踊、組踊を学べる環境が整えられた。2004年に完成した国立劇場おきなわは、05年から組踊研修を始めた。男性を対象にのべ5期48人(立方22人、地謡26人)が修了し、多くの修了生が舞台で活躍する。

 一方、県立芸大大学院で組踊をはじめ沖縄の伝統芸能を学び修めた女性実演家が、学んだものを生かしたいと、12年に結成したのが「女流組踊研究会めばな」(山城亜矢乃代表)だ。芸大でも教わった「組踊立方」人間国宝の宮城能鳳さんと、能鳳さんの高弟の嘉手苅林一さんに指導を仰いでいる。

 山城代表は「男性の立場で女性の心境を描いた古典組踊は、時に自分たち女性以上に心配りがされていると感じる」と話す。公演では、親子連れや初めて組踊に触れる観客に向けた創作作品と古典作品の両方を上演し、組踊ファン層拡大に寄与している。

重要無形文化財「組踊」の要件に「女方によること」の一文が記された1972年5月15日発行の官報号外第61号

 国立劇場の組踊研修が男性に限定されていることについては「決して開かれていないという状況ではないが、組踊研修を男女ともに受けさせてほしいという思いはある。(研修に)琉舞を学ぶ女性舞踊家の枠を設けてもらえると、今以上に女性の可能性が広がっていくのではないか」と力を込めた。

 2000年に結成された「玉城流金城清一組踊会」は、男女も流派も問わず組踊の習得を志す人を受け入れている。毎週土曜日に糸満市の道場で稽古を行い、定期公演に向けて1年間に2作前後を学ぶ。玉城流七扇こねり会の上地美智子会主は同組踊会結成当初から、参加している。

 「女方によること」の要件により、重文「組踊」の保持者に立方としてなることがかなわない現状について、上地さんは「肩書きではなく、琉球舞踊の技量を深めるために学んでいる。唱えの稽古を基本に、厳しくも楽しく切磋琢磨(せっさたくま)している」と朗らかに話す。

 伝統芸能の保存継承のため、実演家は日々懸命に現状と向き合う。

実力、技術で評価されたい

 那覇市首里にある世界遺産の玉陵に5日、陽光の下で目を細める観覧客が、心地良い歌声に足を止めて聞き入る姿があった。歌うのは、県立芸術大学音楽学部3年生で、琉球伝統芸能デザイン研究室(山内昌也代表理事)の準会員である大城希里さん(21)と照屋綺恵さん(21)だ。東の御番所(あがりぬうばんじゅ)から、玉陵の方角に向かい、琉球古典音楽を2曲ずつ、独唱した。

 献奏は、同研究室が定期的に玉陵と那覇市の識名園で開催している「琉球古典音楽パフォーマンスアート」の一環だ。

 琉球伝統芸能デザイン研究室は2019年4月、琉球王国時代から受け継ぐ伝統芸能の価値をより高めるべく、新たな「美学」や「哲学」を構築し、イノベーションを図ることで同芸能を次世代へつなぐことを目的に設立された。現在は、舞台空間や衣装などにもこだわった琉球芸能を提供する事業と、人材育成を主に行っている。

 会員は歌三線が男性3人、舞が女性4人。準会員には、歌三線が男性1人、女性4人、舞が男性2人、女性5人が所属する。おきなわSDGsパートナーにも登録し、特に教育とジェンダー問題に積極的に取り組んでいる。パフォーマンスアートも、男性に比べ活躍の場が少ない女性実演家の機会創出も目的の一つとして始めた。

「作田節」を独唱する大城希里さん=5日、那覇市の玉陵

 男女の声質の違いや、歴史的背景から舞台の歌三線は現在、男性が主に担っている。一方で、芸大音楽学部内にある琉球古典音楽コースの2018年度から20年度の卒業生の合計を見ると、男性が5人で女性が9人と、女性の学び手が多くいる。また教授たちの審査で決まる、県立芸大の学内演奏会での独唱者に、近年は女性の学生が選抜される傾向があり、優れた素質を持つ女性が多くいることが分かる。大城さんと照屋さんも、本年度の定期演奏会で独唱に選ばれた。

 石垣島出身の大城さんは、祖父が地元の祭で地謡をしていたこともあり、自然と八重山民謡を始めた。中学生のころ、八重山芸能を学ぶ子どもたちに大舞台を経験させ、後継者育成につなげる試みで始まった「夢ステージ」に出演した。沖縄本島で現在琉球古典音楽を教わっている花城英樹さんや、県立芸大で琉球舞踊を教える阿嘉修准教授ら、第一線で活躍する実演家と交流する中で琉球芸能のことを知った。同門の先輩たちが芸大に進学していたこともあり、自身も芸大で琉球古典音楽や組踊を学ぶ決意をした。

 大城さんは「三線を学びたいと思い芸大に入ったが、学ぶに連れ琉球古典音楽の奥深さを知り、はまっていった。男女平等の時代になっても、女性が活躍できる場があまりなかった。デザイン研究室で演奏する機会をもらえていることで、将来が開けてきていると感じた。卒業後も、三線をしながら仕事をしたいという気持ちが強くなった」と目を輝かす。

 読谷村出身の照屋さんは、村が主催する「赤犬子子ども三線クラブ」をきっかけに、三線を始めた。芸大入学後の2020年3月、同級生と古典音楽ユニットを結成し、琉球古典音楽を中心に公演してきた。将来は、他ジャンルの音楽にも挑戦し、演奏家としての自活を目指している。

 女性が古典芸能を学ぶことについて照屋さんは「(記事などに)『女性三線演奏者』と書かれているのを見て、回りからの見られ方に気付いた。特に女性としてやりたいと思って始めたわけじゃなかったので、自分が思う以上に、伝統芸能の世界は男性、女性という見方があるんだと気付いた。やりにくさなどはないが、自分の実力や技術で評価されたいので『女性が』ということが邪魔にならないような世界になればいいな」と願う。

 パフォーマンスアートの日、琉球王国時代の礼服である黒朝(くるちょう)にハチマチといういでたちの2人は、御番所の座敷に座ると、玉陵に向かって深く一礼し、曲名を告げてから演奏を始めた。冬の訪れを知らせる寒気に頬を少し上気させながら、真心を込めて歌をささげる瞳には、澄んだ青空が写っていた。
 

新しいカタチ創造を
 山内昌也氏(沖縄県立芸術大学教授)

 

 「琉球」は王国時代、独自の文化を築き上げ、特に東アジアを中心とした諸外国との交易により格式高い数多くの「食」「酒」「芸能」「工芸」が磨き上げられた。その「心」が2019年5月20日文化庁より認定された「日本遺産」と考える。「琉球王国時代から連綿と続く沖縄の伝統的な“琉球料理”と”泡盛”そして”芸能”」が認められたことは、喜ばしいことである。同時に「ホンモノ」を求めている声がさらに高まりつつあり、「文化芸術の発信」がどうあるべきかが問われている。

 琉球古典音楽をはじめとする琉球伝統芸能は、三線が誕生したことにより、宮廷芸能として、儀式や外交のツールとして首里士族の男性たちが全てをつかさどっていた。とはいえ、琉球古典音楽が構築される以前は、女性たちが神々にささげる「うた」(アカペラによる歌唱)が存在していたのである。

 「歌声」において、成人男性と女性では、女性の音域が1オクターブ高くなる。また、近年大劇場など広い空間での上演が主流となっているため、三線の調弦を上げて音域を高く設定し、大人数で演奏するようなスタイルが“はやって”いる。しかし、男女混合による舞踊や組踊の地謡、さらには組踊立方(唱え)において、女性が男性の音域に合わせて演奏(唱え)をした場合、女性が本来持っている声の響き、音域に無理が生じ、奏者も観客も正直「苦しく」なる。

 琉球王国時代の演奏空間としては、首里城の御庭(うなー)や、御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)をはじめとする小空間があった。そのため、調弦を上げることなく、声も張り上げることなく「静かに」演奏していたと想像する。

 沖縄県立芸術大学では、多くの女子学生を受け入れ教育研究を行っている。芸大で培った「琉球伝統芸能の理念」を、卒業後も発揮できるよう「琉球伝統芸能の新しいカタチとデザイン」の創造が必要であると考える。

(琉球古典音楽)

 

男女問わず笑顔で舞台に

 現在、男性舞踊家の舞台は人気を博しているが、20世紀末は若手男性舞踊家だけで公演を企画しても「客が呼べるのか」と不安視されていた。男性が実演家として地位を再度確立した背景には、御冠船踊の技を広く県民に伝えた先達(せんだつ)や、組踊会を作って育成に尽力した大先生たちの努力がある。

 琉球芸能の世界は、芸能が誕生した背景や、パフォーマンスをする上での男女の身体的な違いもあり、男女平等が正しいとは言い切れない。今回話を聞いた方々も師匠たちへの感謝と共に、言葉を選んで、慎重に思いの丈を語っていた。

 どのような伝統芸能の在り方が良いか考えはまとまらないが、男女問わず、笑顔で舞台に立ち続けられるよう筆を執りたい。

(藤村謙吾)

 SDGs(持続可能な開発目標)は2015年、国連サミットで採択された国際社会の共通目標。環境問題や貧困などの人権問題を解決しながら経済も発展させて持続可能な未来を創ろうと、世界中で取り組みが進められている。