沖縄ヘイト「許し難い」 本土側の理解薄れ危機感


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
琉球政府の屋良朝苗主席(当時)が政府に示した「屋良建議書」を見せながら沖縄には「不条理が残されている」と語る元沖縄開発庁企画課長の櫻井溥さん=2021年11月、静岡県

 今年は日本復帰から50年を迎える。1972年、復帰と同時に沖縄に赴任し、沖縄振興に取り組んだ元沖縄開発庁企画課長の櫻井溥(つよし)さん(87)=静岡県=は、日本の国策に翻弄(ほんろう)され続けた歴史がいまだに影を落とす沖縄の現状と県民の心情に向き合う。当時、第1次沖縄振興開発計画の策定時に「謝罪」と「基地撤去」の加筆を県が求めていた経緯を振り返り、実現しなかったものの「そう言いたい気持ちは分かる」と共感する。日本が沖縄に依存しているとし、在沖米軍基地の整理縮小を求めている。

 櫻井さんは近年、本土側に沖縄の歴史への理解と関心が薄くなっていると感じている。沖縄に向けられるヘイトスピーチ(憎悪表現)に「許し難い」と強い怒りを抱き、多くの人に沖縄の歴史を理解してほしいと願う。

 青森県出身で1957年に北海道庁に入った櫻井さん。思いがけず翌年総理府へ異動し、沖縄担当となった。沖縄に何度も通い、琉球政府の幹部らと酒を飲んだ。島津藩による琉球侵攻、明治政府による琉球併合(沖縄の廃藩置県)、沖縄戦、戦後の米施政下での人権侵害などに対する複雑な心情を酒席でぶつけられた。

 72年、復帰と同時に沖縄開発庁企画課長として赴任。第1次沖縄振興開発計画の策定を巡り、県の原案の作成段階で思いがけないことがあったという。当時、県の担当者から「謝罪」と「基地の即時全面撤去」を国に求める文言が入りそうだと聞いた、と話す。「国としてはのめない。国の計画なのに県に謝るというのは論理的におかしい。基地の全面撤去も無理。日米返還協定で決まったんだから」

 本庁に連絡し、本庁から課長が朝一で来て県首脳と面談した。「横田から来たのか」との冗談に身を固くしながら、謝罪と基地撤去の二つを盛り込まないよう伝えたという。本紙は県の審議会の議事録や当時の県の担当者に確認したが、謝罪を盛り込んだとの経緯は確認できなかった。

 櫻井さんは「原案になる前の段階だから記録に取らないことは十分あり得る」と強調する。「国が先の戦争について、間違った政策をやったことを『県民に謝罪せよ』と県が言おうとしたんだろう。それくらい言いたい、というのは分かる。今でも本音を言えば、言いたい気持ちはあるでしょうね」

 一方、県が作成した原案の「計画の目標」には「基地を全面撤去させ」との文言が入っていたのは確認できたが、国が決定した計画では、その文言は削除されていた。72年12月、計画の閣議決定を受け、当時の屋良朝苗知事は所感に「軍事基地の整理縮小撤去についての表現が弱くなっている」と記した。櫻井さんは、復帰から50年たった今も沖縄が「分断国家だった『不条理』が復帰後もなお残されていることの不満を抱え続けている」とみる。

 しかし、櫻井さんにとって、沖縄の歴史への理解が本土の人になくなっていると強く感じた出来事があった。2013年、東京・銀座で米軍のオスプレイ配備反対を訴えた超党派の首長と議員団らに「非国民」「日本から出て行け」などとヘイトが浴びせられた。新聞報道で知り「あまりにも本土の理解のなさがひどい」と発奮。憤りを抑えきれず同年5月、「今、沖縄を考える」と書いた手製のたすきをかけ、沖縄の歴史を書いたリーフレットを首相官邸前や銀座で配って歩いた。

 自他ともに保守派と認める櫻井さん。「国の安全保障は『オール・ジャパン』で担うべきであり、現状の沖縄の基地は一層、整理縮小すべきだ。日本が安全保障を米国、沖縄の米軍基地に依存している。日本が沖縄に依存する『甘えの構造』を沖縄の人たちは鋭く見抜いている。政府の努力もそうだが、本土側の沖縄への理解をもっと深めるべきだ」と力を込める。

 (中村万里子)