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取材報道ガイドライン 主体的な判断で報道を 当事者の心情に配慮も<山田健太のメディア時評>


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
大阪で発生したビル火災で、大阪府警が容疑者名を公表したことを受け、実名で報じることに伴って「おことわり」を掲載した2021年12月20日付の琉球新報

 学生に「ニュースを知るメディアは何か」を尋ねると、インスタグラムやラインとの答えが返ってくる。確かに、はやりのファッションやおいしい店を知るには十分かもしれないし、友達との会話で知っておくべき有名人の動向や、世の中のうわさ話をいち早く知る手段としては適切かもしれない。一方でたまに触れるマスメディアの報道については、本人が嫌がっているのに無理やり押しかけて取材したり、名前を報じたりするのは傲慢(ごうまん)だとの感想が示される。

 さらにいえば、社会が忘れたがっていることをほじくり返して白日の下にさらすことにどんな意味があるのかなどと、調査報道やドキュメンタリーの類いに批判的だったりもする。これらは、学生に限らない一般的な風潮ともいえ、事実を報じるというジャーナリズム活動全体への否定的な空気が作られてきた。

 そもそも、報じるべき事実とは何なのか、報道の前提となる市民からの信頼を得るための方策として何が求められているのだろうか。

匿名発表・報道

 事件は大阪(梅田)駅からほど近い雑居ビルに入る心療内科クリニックで、2021年12月17日午前に発生した。容疑者を含む25人が亡くなる惨事であった(他に重篤1人)。近年は、この種の犯罪性が疑われる事件のみならず、事故や自然災害の場合でも、犠牲者や被害者のプライバシーを考慮して取材を制限したり、報道で事実関係の一部を秘匿したりする傾向が強まっている。警察や消防等の公的機関においても、氏名等の発表を行わないケースが増えている。

 本欄でも折に触れ扱ってきているが、05年のJR西日本の福知山線事故では、一部犠牲者の氏名は未公表のままだ。13年のアルジェリアでの人質事件でも政府・企業とも氏名発表を拒んだ。最近の事件では、16年の相模原事件、17年の座間事件では、事件特性を理由として警察は身元の発表をしていないし、報道でも原則匿名が続いている。一方で01年の新宿歌舞伎町の雑居ビル火災事件では、火元が風俗店であったことから、店名を匿名にして犠牲者名を報じる社、扱いを逆にする社、双方ともに実名で報じる社など、バラバラであった。

 そうした中で、19年の京都アニメーション事件では犠牲者について、実名での警察発表と、それに基づく報道がなされたものの、遺族からの「そっとしておいてほしい」との報道を望まない声があることを受け、新聞やテレビは市民からの厳しいバッシングにさらされた。事件発生から警察発表まで1カ月半を要したのも、こうした遺族からの要望があったためとされている。そうしたこともあって報道側も、取材方法を代表制にしたり、インターネット上での情報発信を、紙や番組とは変えたりするなどの「配慮」を行ってきた。

警察発表への依拠

 これらの過去事例と比較すると、今回の大阪事件は少し様相が異なるものであったといえるかもしれない。警察は当初より、犠牲者の身元が判明次第実名を発表した。報道でも「事件・事故報道では、一人一人の方の命が奪われた事実の重さを伝えることが報道機関の責務と考え、原則、実名で報じています。取材にあたる際は節度を保ち、ご遺族や関係者の皆さんに配慮します」(朝日新聞12月20日付朝刊社会面)との一文を、氏名掲載後に付すなどして報道している。

 加害者の報道についても、従来は責任能力がなく刑事責任が問われない可能性がある場合など、本人特定を行わないことが一般的で、その一例が精神耗弱であった。それからすると、今回は該当する可能性を否定できない中、警察が逮捕状請求前にあえて容疑者名を公表したことを受け、一部の報道機関は実名報道をした(捜査1課長が「被害者・ご遺族が被害者の早期特定を望んでいる。重大事案と鑑みて公表した」と説明したとされる)。

 在京紙では、朝日、読売、日経が19日朝刊段階で実名、毎日、産経、東京は翌20日段階から顔写真・実名に切り替えた(本紙も20日から実名)。もともと報道機関が実名報道するタイミングは、警察の逮捕という公権力行使を判断基準にしており、その意味で自律的な判断というよりは他力基準である。

 そして今回も、警察が捜査上の都合等から発表をしたことに従い、実名報道をしたという意味では、典型的な「発表ジャーナリズム」といえよう。警察判断に依拠するのではなく、ジャーナリスト自身が自らの意思でどうあるべきかを考えることによってこそ、読者・視聴者の信頼をうることができようし、ネット上の情報とは違う、プロとしてのジャーナリズム活動の意味があるだろう。

自律的な判断基準

 こうした自律的な判断を行うための手助けになるのが、当該分野の専門的知見を取り入れ、継続的な長年の取材報道経験を加味した判断基準を持っていることだ。ベースがあってこそ、ケース・バイ・ケースの的確な判断ができるのであって、その一つの工夫が、報道ガイドラインの策定と実践といえよう。

 いま、もっとも日本国内で定着しつつあるガイドラインは、WHO作成の「自殺報道ガイドライン(自殺対策を推進するためにメディア関係者に知ってもらいたい基礎知識 2017年版)」だろう。大阪事件と同時期に起きた神田沙也加さんの転落事故の際にも、厚労省がリリースし報道界内で共有がされた。そこでは具体的に「やるべきでないこと」「やるべきこと」が明記されており、「自殺が発生した現場や場所の詳細を伝えないこと」や、「支援策や相談先について、正しい情報を提供すること」などが報道で実践されている。

 他には、アルコール等依存性薬物関連問題などに取り組むASK(アスク)の「薬物報道ガイドライン」や、LGBT法連合会の「LGBT報道ガイドライン」が知られている。また危険地取材に関しては以前より国際的な記者組織であるCPJ(ジャーナリスト保護委員会)策定の「危険地取材ガイドライン」が存在し、戦争取材等の実用的な手引きとして活用されてきた。同委員会は「新型コロナウイルス取材の手引き」も発表している。関連して、惨事ストレスと呼ばれる事件・事故に伴うストレスを取材・報道関係者が受けた場合の研究書も出されている(報道人ストレス研究会編『ジャーナリストの惨事ストレス』)。

 今回の大阪事件に際しても、日本トラウマティック・ストレス学会と犯罪被害者支援委員会の連名で声明が発表されている。直接的には被害者はじめ現場に居合わせた者や救援者向けのものではあるが、同様に被害・被災現場を取材し報道するジャーナリストが、当事者・関係者のメンタルヘルスを十分に理解していなければならないことはいうまでもない。具体的な取材報道ガイドラインの策定に向け、できることからしていきたい。

 (専修大学教授・言論法)
 (第2土曜掲載)
 


 本連載の過去記事は『愚かな風』『見張塔からずっと』(いずれも田畑書店)で読めます。