<琉球料理は沖縄の宝 安次富順子>11 庶民が親しんだブクブクー茶 茶道は王朝のおもてなし


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 お茶好きの沖縄ですが、歴史をたどると、琉球王朝時代には日本の茶道が取り入れられ、また中国との交易で、中国茶の香片茶(サンピンチャ)などが輸入され、広く飲まれるようになりました。また、明治時代以降には、那覇の庶民の間で独特の豊かな泡を飲むお茶・ブクブクー茶が飲まれました。さらに数多くの薬草茶も飲まれていました。

抹茶セット

<多彩な楽しみ方>

士族のたしなみ

ブクブクー茶セット

 1534年に冊封使の陳侃(ちんかん)・『使琉球録』に、旧暦八月の中秋節に円覚寺で茶が振る舞われたとの記述があります。この時期にはすでに日本式の茶道が禅僧により、沖縄にも伝えられていたといわれていますが、千利休による茶道とは異なるものでした。

 1600年に泉州堺の茶人喜安入道蕃元が来琉し、千利休の茶道を沖縄に伝え、琉球王朝に初めて御茶道職が置かれました。茶道が琉球王朝で受け入れられて広がっていき、17世紀後半には首里に御茶屋御殿(うちゃやうどぅん)(1677年)が建てられました。また羽地朝秀の「羽地仕置」(1667年)には、士族がたしなむべき諸芸12種の一つとして「茶道」が含まれており、王朝におけるもてなしには、茶道が用いられていました。

 このようにして王朝では日本文化の茶道が行われていましたが、一方、中国との交易の中で、その貿易港の福建省福州がお茶の名産地であることもあり、中国の茶葉が輸入されました。その茶葉は、半発酵茶で清明茶、香片茶、半山茶などでした。日本茶は1627年に薩摩から茶樹が移入されますが、沖縄の琉球石灰岩を伝って採れる水は硬度が高く、日本茶には適さなかったためかあまり利用されませんでした。

明治以降のお茶

 

立て膝をして、ブクブクー茶をたてている様子

 人々はお茶を愛飲し、朝起きるとまずお茶を飲む習慣がありました。そのほとんどが中国茶で、明治以降は、福建に加え、台湾からも輸入されるようになりました。中国茶を好む習慣は現在も続いていて、脂っこかった琉球料理によく合うといわれ、番茶のように多量に飲めることも暑い沖縄に向いていました。日本茶は、薩摩から輸入されていましたが、主に支配階級で飲まれていました。

 近年は、客の接待は、一杯の日本茶、コーヒー、紅茶を用いるのが当たり前になっていますが、昔の沖縄では茶盆の上には大型の土瓶(チューカー)が置かれ、何杯でもお代わりしていました。一杯のお茶を飲んで、辞意を伝えると「一茶碗茶(チュチャワン・チャー)か!」と年寄りに叱られたようです。「あと一碗の茶を飲んでいるうちに、厄と出会わないで済むようになるのだよ」とのことで、のどかなゆったりした時間の流れを感じます。

庶民の祝いの場に

 

冊封使・徐葆光の『中山傳信録』(1721年)の挿絵

 明治から昭和の初期の戦前まで、那覇(旧那覇市)だけで飲まれていたブクブクー茶という豊かな泡を飲むお茶がありました。船出祝やちょっとした祝いなどに、家庭でブクブクー茶をたて祝っていました。また、東町の市場でも売られていました。しかし、戦争で道具の焼失などにより、戦後まったく姿を消し「幻のお茶」とまで言われるようになりました。道具が見つかったことや、たて方、水の研究により平成の初めに復興しました。

 ブクブクー茶は、煎(い)り米湯と香片茶の茶湯を直径25センチの大きな木鉢(ブクブクーザラ)に入れ、長さ25センチの大きな茶せんで泡をたてます。十分に泡立ったら茶碗(ちゃわん)に茶湯を注ぎ、少量の赤飯を入れ、茶せんで泡をすくい高々と盛り上げます。泡の上に炒った落花生の刻んだものをふりかけ、箸(はし)やさじを使わずに上の泡からかぶりつくように飲みます。本来、ブクブクー茶にはたて方、飲み方などの作法は無く、台所などでたてて運び出すものでした。

 ブクブクー茶は、庶民の飲み物で、王朝の飲み物ではありません。王朝説は冊封使・徐葆光(じょほこう)の『中山傳信録(ちゅうざんでんしんろく)』(1721年)に記されているお茶)に基づいています。

 そこには「琉球の茶をたてるやり方は、抹茶に粉を少し混ぜて少し碗に入れ、湯を半分ほど入れ茶筅(ちゃせん)で数十回かき回すと、泡が立って茶碗一杯になったところで、客にすすめる」とあり挿絵がついています。

 王朝時代は日本の茶道が用いられていることや、蓋(ふた)つきの茶碗が用いられていることから、泡が豊かで今、伝承されているブクブクー茶とはいえません。

 ブクブクー茶は日本の茶道と区別され、庶民のお茶として伝承されてきている「振り茶」の仲間とされています。振り茶には、新潟県のバタバタ茶、島根のぼてぼて茶、徳之島の桶(おけ)茶などがあります。

 (琉球料理保存協会理事長)
 


 安次富順子(あしとみ・じゅんこ)

 那覇高校、女子栄養大学家政学部卒。1966年~2016年まで新島料理学院、沖縄調理師専門学校(校長)勤務。沖縄伝統ブクブクー茶保存会会長。主な著書に「ブクブクー茶」「琉球王朝の料理と食文化」「琉球菓子」など。


~~ウチャワキ~~

ブクブクー茶の復興

 ブクブクー茶の復興には、明治28(1895)年生の故新嘉喜貴美さん(那覇旧家の出身)所有の道具の存在があります。本人の道具は戦争で焼失しましたが、東京の知人にプレゼントしていたものが、昭和33年ごろ新嘉喜さんの下に戻ってきました。その道具を基に、故新島正子さんが道具を復元し、私が多くの聞き取りをもとに、たて方や水の研究をしました。試行錯誤を重ね、これはと思うものが出来た時、昔のブクブクー茶を知っている方たちに飲んでいただき、お墨付きが出た平成の初め、昔の豊かな泡のブクブクー茶が復興しました。