軍事的防波堤、いま沖縄に迫る危険 具志堅隆松<戦争回避の道は「ノーモア沖縄戦の会」発足>上


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ロシアのウクライナへの軍事侵攻に反対の声を上げる筆者(前方左)=1日午前、那覇市の県庁前県民広場

 私は縁あって戦没者の遺骨収集に関わるようになって今年で40年になる。遺骨収集は犠牲者と遺族のためと思い、戦後の平和の中で沖縄戦を過去の事実として相対的に見つめながら、戦争の実相である「殺される」ということを、発信を通じて平和につなげようと努めてきたつもりである。

 しかし、ここにきて沖縄が再び戦場になる危機が高まってきている。中国による台湾への軍事侵攻に米国が介入した場合に備えて自衛隊も中国軍に対しての40カ所の攻撃拠点を琉球列島に設置する計画が明らかになったのだ。沖縄から中国軍を攻撃すれば、当然、相手から反撃される。

 その時、住民は無事でいられるだろうか。自衛隊には住民を避難させるゆとりがないことを自衛隊自らが表明している。これらの事態は沖縄に住んでいる県民は心配するべきことだと思うが、全く危機感が感じられない。

 くしくも現在、ウクライナがロシアの軍事侵攻を受けている。ウクライナ住民が砲爆撃の中を必死で着の身着のままで隣国へ避難している状況を明日の沖縄の姿からもしれないという想像力を県民は働かせてほしい。

 すでに国会では日本維新の会代表から、政府は「台湾有事」に備えて沖縄県民の待避計画を検討すべきではないかという発言もあった。ならば、県民は県外避難も想定しておくべきかというと、そうではない。そもそも140万人の県民が県外避難するというのは不可能である。事の本質は「攻撃すれば反撃される」ということであり、攻撃しなければ平常時である。危険性をなくすという意味でも沖縄から移動すべきは県民ではなく攻撃基地である。

 日米両軍が中国軍を攻撃するために私たちが沖縄を明け渡すというのは、戦争の遂行に協力することになる。私たちは加害者にも被害者にもなってはいけない。

 これから県内でも「日本人として」政府に協力すべきとの声が出るかもしれない。しかし、「日本人として」という国家の枠にくくられる前に「人間として」戦争を否定するのが人類共通のことである。

 それは世界中で起きているウクライナからのロシア軍撤退要求の声からも明らかである。沖縄が米中の軍事衝突の最前線になることを避けるためには、大国の政府であろうとも私たちはしっかり意思表示をしなければならない。

 私たち県民は過去に沖縄戦を体験している。世代も変わり、連綿と続く平和な生活の中では過去の戦争による心の傷の深さが徐々に埋まり、癒えていくのは自然である。しかし、世代が変わろうとも20万人余の犠牲から得られた「軍隊がいる所は軍隊に狙われる。軍隊は住民を守らない」という教訓を忘れてしまうのは危険である。

 特に日本政府から本土を守るための軍事的防波堤の役割を押しつけられている沖縄では危険である。私は過去を学習するのは未来に生かされてはじめて意味を持つと思っていた。しかし、今の沖縄では未来でなく、今生かさなければならない事態になってしまっている。


 ぐしけん・たかまつ 1954年、那覇市生まれ。自営業のかたわら遺骨収集ボランティア「ガマフヤー」代表として活動する。2011年、吉川英治文化賞を受賞。


 「台湾有事」を想定したミサイル配備などを自衛隊と米軍が進め、南西諸島を軍事拠点化する日米共同作戦計画に反対し、沖縄を二度と戦場にしないために活動する「ノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会」の発足集会が19日午後1時半から沖縄市民会館で開かれる。琉球新報社編集局の新垣毅報道本部長が「核ミサイル戦争の危機」と題して基調講演する。同会が多くの参加を呼び掛けている。問い合わせは同会事務局(電話)090(2716)6686。