多様な復帰めぐる認識、資料公開で将来に継承へ <記録と記憶を次代へ「復帰50年」フォーラムに寄せて>


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復帰協と本土側代表団により、国頭村辺戸岬と鹿児島県与論町の境界「27度線」で行われた海上集会=1966年4月28日(嬉野京子さん撮影)

 「復帰」とは何だったのか? 沖縄が歩んできた「復帰50年」はどのような時代であったのか、人生を振り返る年齢となった60代の我々は、実は「復帰」について、よくわかっていないことに気がついた。

 これまで「沖縄戦の実相」に関する記録や証言に関する研究には多数の書籍があるが、戦後から復帰にかけた歴史的な「総括」は未だになされていないように思う。70代以上に共通する「祖国日本」への憧憬(どうけい)と抵抗に、当時小学校高学年から中学生だった我々は、膨大な写真や映像を観て想像するしか方法はない。

 ちょうど、沖縄戦体験者が、自分の記憶をたどるように。ところが生まれた時から「日本人」である若い世代との間には、何かかみ合わない「溝」があるような気もする。

 その正体は何なのか? そのことを知りたくて「復帰50年を考える会」を立ち上げ、昨年より復帰前後の映像を鑑賞しながら勉強会を行ってきた。

命の危険も

 以前、勤めていた職場で1960年代に製作された映像「ニライの海」(63年)、「沖縄 はまうり」(64年)を調査したことがある。これらの映画は、戦前に一中(現首里高校)を卒業し、戦後東京で新興教育研究所や教職員組合の組織化や社会運動をしていた安室(北村・奈良)孫盛が本土の人々に沖縄の歴史や文化を紹介し、沖縄返還運動を推進するために製作したものである。

 残念ながら音声は残されていないが、60年代の沖縄各地の風景や伝統工芸、琉球舞踊、米軍基地、海上集会などがカラーフィルムで撮影されていた。

 さらに「石のうた」(65年)や「パーランクーのひびき」(67年)という作品も見つかった。「石のうた」は、伊江島の土地闘争を記録化したドキュメンタリー映画である。米軍統治下の沖縄で反米的な映像を撮ることは命の危険を伴う。

 当時の新聞記者や写真家に話を伺うと米軍に都合の悪い報道は一切禁止され、常に監視され、検閲を受けたという。現在のミャンマーや中国、ロシアの状況を見れば想像できるだろう。沖縄にもこのような時代があったという事実を知らずに、この作品を理解することはできない。

伝わる息づかい

 長年これらの資料を保存してこられた東京在住の町田忠昭さんから、1965年8月伊江島住民から佐藤首相宛ての「陳情書」の写しを預かり、今年2月、ようやく伊江島へ返還することができた。「パーランクーのひびき」は、沖縄返還運動を記録化したものだ。

 これらは、沖縄と本土で撮影され、東京の現像所に持ち込まれ編集されたのである。映像には63年第1回の「海上集会」や「教公二法」「沖縄返還国民大行進」など、人々の激しい怒りと悲しみとたくましさが映像に撮られ残されている。

 写真や書物で見たり、読んだりして分かったつもりでいたが、映像には改めて当時の人々の様子や息づかいが伝わってくる迫力があった。

 これらの映像の調査を進めるうちに改めて当時の体験者の証言や様々な視点、それぞれの立場の違う人達から「復帰」について意見や考えを聞かなければならないのではないかと思うようになった。

 これらの映像は、米軍統治下の沖縄の実情を本土の人々に訴えるために製作されたものであるが、果たして現在の沖縄の人々に受け入れられるかどうか、そのまま公開することには少々ためらいがあり、著作権等に関する調査を行うとともに、時代背景やその内容について関係者に聞き取り調査を行ってきた。

 これまでに県立博物館・美術館や南風原町、読谷村等で人数を限定して上映会を行い、感想を含め当時の思い出を語ってもらった。映像は観(み)る年齢、地域によって様々である。「沖縄戦の実相」が体験者により多種多様であるように、「復帰」をめぐる人々の考えも実に様々であった。

本土側への視点

 このような上映会を通して、世代間の交流を行えないか考えていたところ、偶然にも本土における沖縄返還運動の中心的存在であった中澤ひろやが残した膨大な写真と沖縄・小笠原返還関連資料の存在を知った。沖縄側の琉球政府文書や米国民政府資料ばかりに目が行き、本土側への視点が欠落していたことをこの資料は教えてくれた。

 今回のフォーラムは、当会がこれまで調査・収集してきた資料を広く一般に公開し、フォーラム・ディスカッションを行い、記録として次世代へ残すために開催するものである。

 沖縄の戦後史、特に「復帰」についてテーマを選び4回にわけて、メイン・スピーカーを中心にそれぞれの「復帰」について、参加者とともに考える機会としたい。

 このフォーラムを記録し、次の世代へと継承することが目的である。将来、復帰60年、70年、100年後の世代へ住民側の記録として継承することが、我々が今やるべきことではないかと思っている。

久部良和子(くぶら・なぎこ) 1959年石垣市生まれ。専門は文化人類学、台湾近現代史。琉球大学卒、台湾大学文化人類学修士。沖縄県公文書館や国立劇場おきなわ、沖縄空手会館、県立博物館・美術館等、琉球・沖縄・台湾関係の資料調査・研究に携わる。現在、「復帰50年を考える会」事務局。

 

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フォーラム(公開討論会)や展示を通して沖縄の日本復帰50年の歩みを考える企画「27度線をこえて~『復帰』をめぐる人々の足跡をたどる」(主催・復帰50年を考える会、沖教組資料調査会)が27日から4月上旬までの期間に、南風原町の南風原文化センターで開かれる。フォーラムの開催日は27日、4月2日、同3日、同9日の計4回。いずれも午後2時から4時まで。資料の展示は同センターで3月27日から4月9日まで開催している。