「祖国」の再検証必要 沖縄人自身で未来創造を<寄稿・久部良和子「復帰50年を考える会」事務局>下


社会
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伊江島の土地闘争を記録したドキュメンタリー映画「石のうた」(1965年)のチラシ

 沖縄の終戦日はいつか? 沖縄における日本軍の組織的戦闘が終わったとされる6月23日、日本がポツダム宣言を受諾した8月15日、沖縄における降伏調印は9月7日であるが、いずれも「沖縄の終戦日」ではない。実態はどうであれ、沖縄の終戦日は、米軍の施政権が「日本」へ返還した5月15日ではないかと思う。

 教科書には5月15日は、沖縄の施政権が日本に返還された日ではなく、「沖縄の終戦の記念日」と明記すべきである。少なくとも沖縄県の学校教育現場では、4月28日、5月15日、6月23日、8月15日、9月7日を一連の歴史的な流れでしっかりと教育すべきではないか。沖縄の特異な歴史を学ぶことは、これからの沖縄の子ども達のアイデンティティーの教育に必要ではないかと。

沖縄史を見直す

 「復帰」後、大きく変わったのは、何も「通貨の切り換え」や「交通の変更」だけではない。海洋博やサミット、植樹祭など国家的なイベントにより、沖縄が培ってきた独自の民俗文化や歴史観が今では日本(東京)中心の教育標準に修正され、歴史用語も「ヤマト」標準に合わせることを沖縄県の行政や教育界が積極的に行ってきた。

 それは大学受験競争に順応するために必要な方法であったかもしれないが、昨今のコロナ禍、ミャンマーの軍事政権、中国の人権問題、ロシアのウクライナ侵攻など激動する世界情勢を考えると、今一度、琉球・沖縄の歴史を見直し、我々の先人達の足跡を検証し、子や孫を含め、未来の沖縄を沖縄人自身の手で創造する時期にきているのではないだろうか。

 大学卒業後、1980年代戒厳令下の台湾に留学し、台湾の民主化を現場で体験した。台湾の人々は、50年間の日本統治(植民地)時代を歴史的にしっかり検証し、戦後中華民国の歴史が中心だった教育を郷土に根ざした教育改革として行った。中国の歴史始まって以来、初めて台湾の住民による民主的な選挙で政権を樹立した。現在、台湾に住む人々の多くは、本省人や外省人、先住民族である台湾原住民族は、中国人意識より台湾人というアイデンティティーを持つ人々が多いように思う。その多様な民族意識を形成する「歴史認識」の形成過程は、激しい痛みを伴うものでもあったが、それを乗り越えてきた台湾人の自信と誇りを感じる。

本土標準の教育

 一方沖縄では、戦後77年を経て「復帰の日」や「慰霊の日」のわからない児童生徒が増加してきている。復帰後、本土に追いつけというかけ声で沖縄の教育界は、本土の標準に合わせ、その状態が50年も続いてしまった。「琉球処分」や「廃藩置県」「終戦は8月15日」というように。

 しかし、1945年天皇がポツダム宣言を受諾した日本の敗戦(終戦)は、「沖縄の終戦」ではないのである。米軍占領がその後も27年間続いたのだから。そういう事実があるにもかかわらず、日本本土の教科書と同じ8月15日を「終戦記念日」と教科書で教えてきた沖縄の教育関係者は、その矛盾を感ずることはなかったのだろうか。

 戦後、米軍統治下の沖縄では、様々な米軍による人権侵害があり、その怒りや悲しみや憤りに対して、沖縄はまだ戦場の延長線にあることを知れば、沖縄の終戦は1972年5月15日ではないかと思う。いや、最近の基地建設を見ると、沖縄にまだ「戦後」は訪れていないのかもしれない。

「日本人教育」

 当会は、「復帰」を推進した沖縄教職員会資料(沖教組資料)を調査するため「沖教組資料調査会」を発足し、読谷村教育委員会の許可を得て、当該資料の調査を行っている。沖教組がどのような経緯でどのように「復帰運動」を行ってきたか、再度検証する必要があるのではないかと思ったからである。

 「復帰運動」を先導したのは、戦後、主に外地(台湾・朝鮮・南洋諸島)から引き揚げてきた教育者を中心とする教員達であった。彼らは植民地で現地の人々に日本人教育(「皇民化」教育)を行ってきた指導者達である。日本の植民地で身につけた知識や技術が戦後の沖縄復興(再建)に果たした役割は大きい。

 しかし、今度は、統治される側を経験することになるが、植民地政策への反省もなく、今度は戦後沖縄の「日本人教育」を担っていくことになった。1950年代から60年代にかけて米軍に土地を取りあげられ、米兵による残忍な事件事故が多発する沖縄の現状を打破するため、教員の中から「日本国憲法」の下に帰りたいという「祖国復帰」という運動が起こってきたのだ。日本回帰である。

 沖縄戦当時、県民を巻き込んだ「祖国」日本は、また、県民を戦争への道連れにしようとしているのではないか。現在、急ピッチで進められる基地建設は、いつか来た道である。今こそ、戦争体験者の言葉に耳を傾け、寄り添い、再度我々の「祖国」を検証する必要がある。

 今年1年は、沖縄にとって「復帰」とは何だったのか?を考える1年でありたい。考える必要がなくなった時、戦前から戦後、復帰にかけてきた沖縄における「皇民化教育」はほぼ完了することになるだろう。
 (「復帰50年を考える会」事務局)

久部良和子(くぶら・なぎこ) 1959年石垣市生まれ。専門は文化人類学、台湾近現代史。琉球大学卒、台湾大学文化人類学修士。沖縄県公文書館や国立劇場おきなわ、沖縄空手会館、県立博物館・美術館等、琉球・沖縄・台湾関係の資料調査・研究に携わる。現在、「復帰50年を考える会」事務局。

 

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 フォーラム(公開討論会)や展示を通して沖縄の日本復帰50年の歩みを考える企画「27度線をこえて~『復帰』をめぐる人々の足跡をたどる」(主催・復帰50年を考える会、沖教組資料調査会)が27日から4月上旬までの期間に南風原町の南風原文化センターで開かれる。フォーラムの開催日は27日、4月2日、同3日、同9日の計4回。いずれも午後2時から4時。資料の展示は同センターで3月27日から4月9日まで開催する。期間中は毎日午前10時と午後2時の2回、上映会を予定している。