小2で事故、50年後に校長で母校赴任、宮森小の悲劇伝える「630会」設立の平良嘉男さんが県外で伝えてきたこと


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慰霊祭で米軍ジェット機墜落事故の経験を語る元宮森小校長の平良嘉男さん=30日、宮森小学校

 石川・宮森630会を立ち上げた元宮森小校長の平良嘉男さん(70)。退職後、全国各地で7年間、保育園の園長を務め、宮森小の事故について広めてきた。今年4月に沖縄に戻り、慰霊祭に参加した。「ウチナーンチュとして、生き延びた人として、亡くなった仲間たちのことを知らせていかなければいけない」と思いを話した。

 平良さんは宮森小2年生の時に事故を経験した。鮮烈に記憶に残っているのは、友人と校内で遊び終わった後に教室まで戻る際、見上げると晴天の青空で、せみ時雨が降っていたことだった。

 事故が起こったのは午前10時40分ごろ、ミルク給食の時間だった。ミルクを飲もうとした瞬間、「ドーン」という音が響いた。立ちすくみ、降ってきた火の粉の痛みでわれに返ったという。外に避難した時、横たわる子どもの遺体があった。「地獄絵図のようだった」。

 「トラウマだった」と長年向き合えなかったが、事故から50年の節目に宮森小の校長に赴任したことを機に、630会の前身である宮森630館設置委員会を設立した。県外で講演すると「こんなことがあったのか」と事故について知らない人が多いという。「ぬちどぅ宝といちゃりばちょーでーの心を広げていきたい」と思いを新たにした。 (古川峻)