復帰直後の沖縄〈50年前きょうの1面〉7 月15日「大平外相、B52飛来は事前協議の対象外」―琉球新報アーカイブから―


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 1972年5月15日に沖縄が日本に復帰してから今年で50年。27年間のアメリカ施政権下から脱して「祖国」の日本に戻るカウントダウンが進む中、本土との格差是正、自衛隊配備や米軍基地の取り扱い、ドル―円の通貨切り替え問題、初の知事選など、大きな歴史のうねりに翻弄される島の住民は山積する課題に直面する、そんな時代だった。復帰した後の沖縄の発展を展望しつつも、さまざまな制度変更にさらされる行政と政治。琉球新報の紙面もその歴史の一日一日を刻んでいった。

 

 日本「復帰」直後の1972年7月15日の琉球新報1面トップは、「B52の飛来、事前協議の対象外/大平外相、復帰協代表に語る/安保下、やむを得ぬ/本土基地への飛来も可能」との見出しで、嘉手納基地へのB52飛来で沖縄からの抗議団に大平正芳外相が答えた内容を紹介している。関連で沖縄県議会の動きとして「飛来許さない/きょう臨時議会」との見出しで、沖縄側で与野党一致して抗議決議を可決すjる見通しを示している。

 具志川市の米軍施設内で埋められていた有毒性のテトラエチール鉛が見つかり、屋良朝苗知事がサンプル採取を求めたのに対し「見本採取は不許可/米陸軍基地司令部/日米合同委にかけよ」との見出しで、米軍の司令官がサンプル採取を拒否したことを伝えている。

 海洋博の問題に関して「関連工事を急げ/首相、閣僚協議会で指示」との見出しで田中角栄首相が指示したことを紹介している。記事では、道路、空港、港湾の整備方針について「田中首相は各閣僚に対し『先行投資と考えて実行してほしい』と、とくに指示したという。しかし、道理一つとっても建設省の事務当局は『技術的困難さ』を指摘し続けてており、前途は多難だ」と記している。

 

 

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 5月15日で復帰を迎えたが、沖縄を取り巻く状況は復帰して変わったこともあれば、変わっていないこともあった。琉球新報デジタルは、復帰を迎えた沖縄のその後の姿を琉球新報の紙面でどう記したか、引き続きお届けしていきます。