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やまゆり園殺害事件から6年<伊是名夏子100センチの視界から>127


この記事を書いた人 Avatar photo 琉球新報社
やまゆり園に入居していた尾野一矢さん。「いっぽんばしこちょこちょ」のコミュニケーションが好きです

 大学受験に合格した時、ある人から「あなたが大学に行けるとは思っていなかったよ。だって知的にも障害があると思っていたから」と言われました。身近な人からだったので、驚いたのと同時にショックを受けました。まさか私が知的障害者に間違われるなんて。

 しかしその数年後、ショックを受けた自分は知的障害のある人たちを自分より下に見て、差別をしていたと気付いたのです。自分ができることをアピールし、できることが一つでも多くあることがいいことだと考え、能力主義に陥っていた私。しかし人の価値に優劣があるわけはなく、できることが多い人の方が優れているわけではありません。人の価値を考えている時点で、恐ろしいこと、やってはいけないことです。

 6年前の今日、7月26日は、神奈川県相模原市の知的障害者福祉施設、津久井やまゆり園で19人の障害者が殺害され、26人が重軽傷を負いました。6年たった今でも、亡くなった方の本名の公開をためらう家族がいます。理由はさまざまですが、障害者が家族にいたことが周りに知られると、差別を受けると心配することがあるからです。生きていることも、亡くなったことも隠され、存在そのものがなかったことにされる障害者が、今の2022年にもいるのです。

 ダイバーシティ、インクルーシブ社会、心のバリアフリーと言う言葉をよく耳にし、差別なんてこの社会にはもうない、自分は差別をしない、と思う人もいるかもしれませんが、現実は違います。差別がある社会に私たちは生きていて、差別をすることがあり、否定する命があるのです。

 この事件で重傷を負いながらも生き残り、今はヘルパーさんとともに一人暮らしをする尾野一矢さんの家に遊びに行きました。事件の時、犯人に手足を縛られ動けない施設職員が、尾野さんに「携帯電話を取ってきて」とお願いし、切られたおなかを押さえながら尾野さんが携帯を探し、職員に渡したおかげで、警察への2回目の通報ができたそうです。どんな場面でも人は助け合いながら生きています。

 19人もの人が亡くなったこの事件から6年。人が生まれ、生きていくことに価値や理由なんていらず、いろいろな人が一緒に生きていることは事実そのもので、説明なんていりません。知的障害者に間違われたくないと思っていた私も、誰も排除せず、誰もが対等に生きられることについて考え続けたいです。


 いぜな・なつこ 1982年那覇市生まれ。コラムニスト。骨形成不全症のため車いすで生活しながら2人の子育てに奮闘中。現在は神奈川県在住。