葬るべきは裏の権力 安倍氏銃撃事件 菅原文子さんコラム<美と宝の島を愛し>


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 大借金を抱える不安定な国家経済の中で、それでも軍事強国に突き進もうとする日本、展望の見えないこの国を象徴するような暗い事件だ。事件の被害者は安倍晋三元総理だが、銃撃した山上徹也容疑者もまた旧統一教会の被害者、いや犠牲者というべきか、の一人とも言える。

 彼の半生の苦難と苦闘を思いやるとき、彼の人格の全てを犯罪者として切り捨てる気にはなれない。法の裁きは法の番人が正しく付けてくれるだろう。その裁きに旧統一教会と深く結び付いてきた保守政権の支配の手が、闇に紛れて伸びないことを願う。罪を償った後の彼の人生に幸あれ、と願わずにはいられない。

 誰であれ、地をはうように生きる人に私が抱くのは常に哀憐の思いだけだ。夫もまた時流の変化、病気やけが、スキャンダル一つで仕事を失う不安定な人生だったからだ。彼を支持してくれた人々の境遇も相通じるものがあった。

 一方、あまりにも対照的な安倍氏の人生だ。日々の糧を稼ぐために満員電車に詰め込まれる苦労を知らず、三代にわたる世襲政治家の一員であることが幸いし総理の座に上り詰めた。生涯を自民党という権力の大組織に守られ、最後は国葬までしてもらえる。吸い上げられた税金で暮らし続け、守られた人生とも言える。守られ続けた生涯の最期は、守られることなく銃弾に倒れた。ビルの壁に散弾銃のように飛び散った痕跡がありながら、どのような偶然が働いたのか、周囲にいた人々に被害が及ばなかった。心の奥底に畏怖(いふ)の思いさえ湧く。

 連行される山上容疑者が警察車両から降りる時、足元に気を付けるように注意を促し、肩に手を添えた警察官の表情には容疑者への哀れみの思いがあるように私には見えた。生まれて初めて、彼は留置場にいて守られているはずだ。何という過酷な運命なのだろう。

 大事件をきっかけに、この宗教法人が日本人善男善女から巨額の献金を巻き上げ、それを元手に各種事業を手広く立ち上げ、日米の保守政治権力に深く食い込んでいたことに多くが驚愕(きょうがく)した。さまざまな手段で選挙応援を受けた議員たちに狼狽(ろうばい)はあっても、反省の色は見えない。「ミヤネ屋」など各局の情報番組が何度も映像を流しているが、当時の安倍総理、トランプ大統領は統一教会絡みのイベントに提供したビデオメッセージで謝礼は受け取ったのか、無報酬だったのか。むなしい問いがいくつも浮かぶが、全て答えは黒塗りだろう。その黒塗りは弔旗に付ける黒布に見える。葬るべきは、国家の闇にうごめく裏の権力だ。

 日本では宗教法人への寄付、献金には課税されないから、認可されれば課税を免れる。献金丸もうけだ。安倍政権の最中に名称を変更し「家庭」という言葉が加わり、さらに善男善女を惑わした。人と家庭を苦しめる巨額集金ネットワークの「教え」に、善男善女がここまで巻き込まれたのはなぜか。日本人の「個」の弱さではないのか。集団性を大事にし、集団に属することで安心する。

 その国民性は、明治維新以来敗戦まで約80年続いた天皇制国家に淵源がある。戦前の日本は神聖不可侵の天皇に服従させ、疑義を唱える者は地獄に落とす代わりに、獄につなぎ死刑にも処し、その恐怖で従順な国民に仕立て上げた。旧統一教会王国と相似形だ。天皇を神とする宗教国家の末路が、無残なあの敗戦だった。
 

(本紙客員コラムニスト、辺野古基金共同代表)