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「米軍基地より子どもの安全基地を」…福祉の遅れ、今も 子育て支援、県行政のリーダーに求める「現場の実態に合わせた施策を」<9・11県知事選 復帰50年の選択>㊤


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「子ども正月」会で、子どもにランドセルをプレゼントする與座初美さん=2022年1月、沖縄市のファミリーサポートセンター(提供写真)

 9月11日投開票の県知事選の告示が25日に迫った。今年は沖縄の日本復帰50年の節目だ。50年間、変わらない問題もあれば、社会の変化で新たに生まれた課題もある。知事選を前に、復帰後の沖縄の歩みを振り返りながら、県政の課題を考える。

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 「子どもの貧困? 自分の目の前にそんな子どもはいない」。約10年前、行政主催の会議に出席した與座初美さん(73)=NPO「こども家庭リソースセンター沖縄」代表=は、参加している県内企業の重役が放った言葉に耳を疑った。

 県ファミリーサポートセンター(ファミサポ)連絡協議会会長として支援の具体例やデータを示し、貧困や人間関係に悩む家庭について説明した直後の発言だった。

 「貧困問題は見ようとしなければ見えない」と與座さんは強調する。沖縄では戦後27年もの米統治下であらゆる施策が立ち遅れた。児童福祉施策の遅れは復帰から50年たった今も尾を引いている。行政の目と手と予算が届かない問題に、関係者らが知恵と資金を絞り出し、制度の隙間を埋めるように支援活動に取り組んだ歴史は、現在も各地の子ども食堂に見られるように続く。

「命は平等。生まれてきた子どもは社会で育てる責任がある」と話す與座さん=4日

 與座さんは2003年に沖縄市でファミサポ事業を立ち上げ、一時預かりや保育園の送迎などを通して家庭支援に取り組んでいる。ニーズは多様だ。「子どもの命を守ることが何よりも先決だから」と時には自腹を切ってサポートしてきた。

 それだけに、国の施策の足りなさ、県や市町村の取り組みも補助金ありきだと感じ、歯がゆさが消えることはない。

 県は16年度を「子どもの貧困対策元年」と定め、居場所づくりや学習支援などの施策を進めた。成果がある一方、問題が表面化しにくい未就学児への支援の手薄さを與座さんは感じている。

 妊娠を機に職場から退職を強制された女性から相談を受けたことがある。生後2カ月の子の預け先がなく、與座さんが一時預かりして母親の就職活動を支えた。事情があり産後すぐに働かざるを得ない親がいるが乳児の預け先は少ない。「子どもの世話は母親の役割」「親を甘やかすのか」という自己責任論も根強い。

 「リスクをはらんでいる家庭が多い。手厚い支援が必要な層だ。どんな環境でも子の命は平等。社会で育てる責任がある」と指摘する。県行政を牽引(けんいん)するリーダーには「ルールではなく現場の実態に合わせた施策に本気で取り組むこと」を求める。「米軍基地より、子どもの安全基地を。それが私の思いです」
 (赤嶺玲子)