沖縄から差別を問う 部落解放うたう「水平社宣言」を琉球語に翻訳 彫刻家の金城実さん、生家で朗読会 うるま・浜比嘉島


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琉球語に翻訳した全国水平社宣言を読み上げる金城実さん(左端)=10日、うるま市浜比嘉島

 【中部】彫刻家の金城実さん(83)=読谷村=が、部落解放をうたった1922年の全国水平社宣言を琉球語に翻訳した。水平社宣言100年と沖縄の日本復帰50年の節目に合わせ、沖縄から差別を問うために半年かけて翻訳した。うるま市の浜比嘉島にある金城さんの生家で10日、朗読会を開いた。今後、出版などに向けて作業を進める考え。

 金城さんは今回の翻訳について、首里や那覇の言葉ではなく、例えばふくれっ面を「アバサー」(ハリセンボン)と表現するなど、浜比嘉島独特の言い回しを使った。少年時代は沖縄本島との「格差」に劣等感を持って育った。「自分も沖縄の中で浜比嘉出身であることを隠したこともある」と振り返り、浜比嘉島の生家で琉球語の水平社宣言を朗読した。

 大阪で教師をしていた頃は沖縄差別が根強く残っていた。沖縄出身であることを隠したこともあり、その後につらい思いを抱いたという。

 大阪では被差別部落の学校で教壇に立った。就職や結婚にも影響が出るような差別を目の当たりにした。「大阪で気になった差別や人権問題を抱え込んで沖縄に戻ってきた」という。沖縄に戻ってからは、過重な基地負担という「構造的差別」を彫刻や活動を通して問い掛けてきた。

 被差別部落に住む人に向けられた「えた」という差別語について、水平社宣言は「われわれが『えた』であることを誇りうる時がきた」と宣言している。金城さんは1903年の「人類館事件」で沖縄の人が「土人」として展示されたことや、2016年に米軍北部訓練場のヘリパッド建設現場で、大阪府警の機動隊員が抗議の市民に「土人」と言い放った事件を挙げ「私は誇り高き土人と名乗る」と話し、水平社宣言の琉球語翻訳の意義を強調した。
 (島袋良太)